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絵本のおかあさん ehonkasan.exblog.jp

子どもたちが通った幼稚園で、絵本の読み語りボランティアのお母さんは、『絵本のお母さん』と呼ばれています


by yomuyomuehon
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「憲法くん」

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憲法くん

松元 ヒロ,武田 美穂/講談社

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小学5年生以上向け


憲法・・・世間では色々言われているけど・・・難しくて・・・・

と思うあなた!

この本を読んでみませんか?



こんにちは、憲法くんです。

姓は「日本国」名は「憲法」、「日本国憲法」です。

すこし、とっつきにくい名前ですね。

だから、ともだちみたいに「憲法くん」とよんでください。


みなさんのおかげで、わたし、七十歳になりました。

むかしの七十歳とはちがって、

ごらんのとおり元気です。

ピンピンしています。

と始まるこのお話。


この絵本は、政治風刺やパントマイムのソロライブをされている松元ヒロさんの一人芝居「憲法くん」が元になっています。

このライブを見ていた井上ひさしさんが、終演後に楽屋に飛び込んできて、「日本国憲法の前文、感動しました。ヒロさんが語る前文からは、とても思想を感じました」と仰ったそうです。

その前文とは、

「日本国民は、
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、かかる原理に基づくものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、
恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する
崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、
平和を維持し、専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと
努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、
全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、
いづれの国家も、
自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、
政治道徳の法則は、
普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立とうとする
各国の責務であると信ずる。

日本国民は、
国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を
達成することを誓ふ。」



おお、前文を全文記載してみた(^^;)

確かに、文学的にも美しいし、内容は感動的!

そしてこれは憲法の初心であり、憲法の魂であると。


憲法は、国民から権力を持つ人たちへの命令書です。

しかし!

「へんなうわさを耳にしたんですけど、
ほんとうですか。
わたしがリストラされるかもしれない、
というはなし。
わたし、憲法くんが、
いなくなってもいい、
ということなのでしょうか。」

どうして、わたしを変えようとするんですか?」

「現実にあわないからだよ。」


戦後、あんなに恐ろしくて悲しいことは二度とあってはならない、という思いから生まれた理想が憲法くんだったのに・・・・


理想と現実が違っていたら、ふつうは
現実を理想に近づけるように
努力するものではありませんか?

(このページの、焼け野原に座り込む少女を見て、皆さんはどう思うでしょうか?)


時代が変わったんですかね。
理想を現実に近づける・・・そんな時代になったんですかね。


なんか、この台詞、憲法だけでなく周りを見ても感じる所かも。。。。。

悲しいかな・・・そういう考えの人が増えたんだね、きっと。



アメリカから押し付けられたものだと言う人たちが居ますが、そうではないと憲法くんは言っています。

三つの理念(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)は、イギリスの名誉革命と権利章典、アメリカの独立宣言と合衆国憲法、フランスの人権宣言へいたる歴史をへて、さらに二回の世界大戦などで多くの血を流した果てにたどり着いた考え方であり、国境を越え、長い歳月をかけて作られたものだった。

だから、簡単には手放してはダメなんだと。


わたしは、この七十年間、
たった一度も、
戦争と言う名前のついたおこないで、
人を殺したことも、
人に殺されたこともありません。

わたしは、
そのことを誇りに思っています。


う~ん、この誇りが今南スーダンで汚されようとしている。。。。。

戦闘か衝突か・・・言葉で言い争っている間に、現場は動いているのだから。

現地の弱い立場の人救う事、それは崇高な行いであり、憲法の前文にもその記述がある。

しかし、やはり裏には石油という利権が絡んでいる事、

何だかんだ人権的なことを言っても、そこが大国の本音。

いつの時代も弱い人間だけが、辛い思いをするのだ。

私たちは憲法改正にただ反対するだけでなく、石油によって成り立たせている自らの生活を見直さなくてはならないだろう。

歴史的にも、地理的にも、経済的にも様々なことが繋がって、世界中で紛争が起きていることを知らなくてはならない。


憲法に関する本、最近たくさん出版されています。

勉強しようと色々購入したまま、あちゃーまだ読んでいない(><)

自分に関係無い事ではなく、関係大有り、そして子ども達が暮らす世界はどうなっていくのか、それを考えると、知らなくてはならない事、考えなくてはならない事がたくさんあります。


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by yomuyomuehon | 2017-02-15 10:44 | 知る
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昨日の続きです。

さて、戦時中も、そしてその前からも障害を持つ人々は居たわけです。

そして戦前は障害を持つ人たちを守る法律なんてありませんでした。

障害を持つ方は、どういう戦争体験をしてきたのでしょう?


その事について、教諭だった丘さんは、ここからは高校の歴史の授業みたいになりますが・・・とお話くださいました。

いよいよ本土決戦か!?という戦争末期、子ども達は、国策として次世代の戦力確保の為に集団学童疎開をさせられました。

しかし、戦力にならぬ、亡くなってもよいと考えられていた障害を持つ子ども達は、学童疎開の対象外でした。


1932年(昭和7年)東京市に全国で唯一の肢体不自由児学校として設立された光明学校。

松本校長先生が学童疎開を直接当局に掛け合うものの、相手にされる事はありませんでした。

疎開先を自ら探してくるならば、疎開してもよいということになり、校長は長野県上山田村の村長に熱心に掛け合い、やっとの事疎開先を確保する事が出来たのです。

しかし、戦争が終わっても、光明学校の子ども達が親元に戻って来たのは、健常な子達から遅れる事4年が経っての事でした。

信濃路はるか―光明養護学校の学童疎開

光明学校の学童疎開を記録する会/田研出版

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「戦争などの有事の際には障害者は真っ先に切り捨てられる」

世の中の空気が変わった時に真っ先に切り捨てられるのは障害者だ、平和じゃないと生きられないということを、先鋭的に肌身に感じているのが他ならぬ障害者たち自身だと、自身も視覚障害があり、日本障害者協議会の代表を務める藤井克徳さんは仰っています。


戦争中、障害のため、徴兵検査で不合格になり兵隊になって国のために戦えなかった障害者。「穀潰し」呼ばわりされることもあったそうです。


そうした負い目や軍国教育の影響もあり、国のために戦いたいと考えた障害者もいました。なんとか国の役に立ちたいと。


それが語られるこの本↓


太一さんの戦争

丘 修三/今人舎

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小学高学年以上向け


(以下、あらすじです)


子どもの時の病気がもとで、知恵が少し遅れていた太一さん。


勉強も運動も苦手。


村では「ばかの太一」と呼ばれていました。


しかし身体は丈夫で村一番の力持ち。


村の人たちは影でこう言っていました。


「太一の力はばか力 お国の為には なりゃしない」


そういわれてもニコニコしている太一さん。


しかしお母さんは悔しくて、悔しくて・・・いつか太一がお国の役に立つときがやってくる。


村の若者は兵隊になって次々と村を出て行きました。


旗を振って見送る村人たち。


若者達はひるむ心を隠して、誇らしげに戦場へ出掛けて行きました。


やがて村には太一さんを除いて男の若者は一人も居なくなってしまいました。


暫く経つと、一人二人と若者たちは骨になって帰って来ました。


戦死した若者の家の門口には、「英霊の家」と言う札が貼られました。


お母さんはそれを見ると、足を止め、深々と頭を下げて、戦争に行けない太一さんの事を思うと、ひどく肩身の狭い思いになるのでした。


ラジオや新聞はいつも「勝った勝った」というのですが、アメリカの飛行機が頻繁に姿を現すようになりました。


本当に勝っているのだろうか・・・


戦争が始まって4年目。


とうとう太一さんの所にも赤紙が届きました。


いよいよお国のために働くときが来たのです。


深々と頭を下げ、お礼をいうお母さん。


やっと他の青年達と同じになったとホッとしたのでした。


太一さんは横須賀の海兵団で厳しい訓練を受ける事になりました。


初日から失敗ばかりに太一さんに、上官は辛く当たります。


苦しい日々を歯を食いしばって頑張っていた太一さん。


しかし・・・・

 

 * * * * *

戦争中の障害者に対する差別・抑圧の歴史は、日本だけではありません。

ユダヤ人を大量虐殺したナチス政権下のドイツで、ドイツ人を含む20万人以上の障害者らが強制断種させられたり、「ガス室」に入れられ殺害されたりしました。

医学界は精神障害者らを殺害することは、優生思想から正しいことと考え、積極的に殺戮していました。

そして、これをナチスが利用したのです。

丘さんは、相模原やまゆり園事件の容疑者の考え方は、ナチスと同じであると仰っていました。

今健常である人も、いつかは障害者になる。

誰かに介助してもらわなければならない存在になる。

そこの想像力が欠如している。

昔は、この部屋で赤ちゃんが生まれ、この部屋で年寄りが亡くなるという現実に中に暮らしていた。

核家族の中では、死と生が隣り合わせであることを実感できない。


そこで丘さんは、幼稚園や老人ホームを同じ所に、人の居る所に作るべきだと提案されていました。

また、今別にある養護学校は普通学級で一緒に!が、互いの理解の深まる一番いい形だとも仰っていました。

偏見や差別や無知は、時間の共有によって無くなるはず。

書物を読むことで知るのではない。

見て聞いて、つきあう体験こそ大切だと。


丘さん修三さんは「子どもの本・九条の会」の発起人のお一人です。

今回この本も購入。

あたらしい憲法草案のはなし

自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合/太郎次郎社エディタス

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最初は笑えましたけど、読めば読むほど腹が立ってきます。

今人舎 「8.15朗読・収録プロジェクト」


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by yomuyomuehon | 2016-10-13 10:48 | 戦争と平和を考える
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小学4年生以上

(以下、あらすじです)

戦時下の、警戒警報が繰り返される毎日。

食べるものも減り、暮らしは厳しさを増す。

そんな中でも、子ども達は今の子達のように(・・・同じではないかもしれないが)元気に遊ぶ。

かくれんぼにたすけ鬼・・・

遊びの最中、皆を探してあちこち歩いていると、也子(かのこ)の目の前に小さなきつねが現れた。

「あんたが、オババのいってた、あの孫むすめにちがいない。」

子ぎつねは、いきなりそう言った。

「あんた、あたしに化かされたい?」

也子はものすごくびっくりした。

そして、散々化かされて目を廻しそうになっているおばあちゃんの姿など、皆から聞いていたキツネに化かされた話が頭をよぎっり、きっぱり断った。

「ぜんぜん。」

これが子ぎつねとの出会いだった。


おきつねさんは人を化かす。

お婆ちゃんはしゅっちゅう化かされた。

でも、お母さんは也子位の時に一度きり。

也子の目の前に現れたのは、まだ「おきつねさん」とは呼べない小さな可愛い子ぎつね。


最初は、皆から化かされた話を聞いていたものだから、この子ぎつねの事も怖かった也子だったが、一緒に遊んでいる内に・・・

ある日子ぎつねはまたもやあの質問をしてきた。

「あんた、あたしに化かされたい?」

答えない也子に、栗をあげるから!柿をあげるから!と食い下がる。

色々想いをめぐらす也子に、もじもじし始めた子ぎつね。

竹やぶに飛び込んでしまいそうだったので、也子は慌てて「白い彼岸花」と答えた。

白い彼岸花は滅多に見つからないはず。

子ぎつねは、町の近くの丘に咲くから見に行ってみよう、と弾んだ声で答えた。

だが次のせつな、灯が消えたようになって、

「この頃町の方には行かないんだった。町には怖い事があるから」とだけ言って、竹やぶに中に飛び込んで行ってしまった。


八月の初め、これが子ぎつねと会った最後だった。


朝からとても暑かった8月6日。

その日、広島に落とされた原爆、ピカドン。

一瞬にして七万を越える命が失われた。

学校に居た也子の腕には、たくさんの窓ガラスのかけらが刺さった。

誰かにおぶられ、逃げていく途中で、黒い雨が降り始めた。


也子がやっと起き上がれるようになった頃には、すっかり秋になっていた。

家に居た者は皆無事だった。

でも、町に出掛けていた者は帰って来なかった。

その後、亡くなった者もいた。


おばあちゃんの話ではこの辺りは農家が多いので、町から逃げてきた人達をたくさん受け入れて手当てしたと言う。

でも助かった人は少なくて、百人ものご遺体を竹やぶで焼いた。

その時子ぎつねが現れたのだと言う。

誰かを探していたようだと。


それ以来現れなくなった子ぎつねはどこに・・・

*****

原爆投下直前まで、子ども達は実に子どもらしい暮らしをしていたのだそうです。

当たり前の暮らしが奪われる事こそが戦争だと、朽木さんはあとがきに書いています。

戦争を経験していない私たちは、見たり聞いたりする事でその悲惨さ愚かさを感じるしかありません。

どこか遠い出来事だった事が、当事者になりかねない事態に・・・・・私達が出来る事は何でしょう?

やはり、この愚かな政権を野放しにさせない事でしょう。


彼らにはこちらを読ませたい!

馬鹿げていると言われるかもしれませんが、武器には武器を・・・なんて、それこそ馬鹿の考える浅はかな事。




外務省は何のためにあるのか?

勉強しかしてこなかった人達には、難しいのかな?


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by yomuyomuehon | 2015-07-24 23:49 | 戦争と平和を考える
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冨山房インターナショナル
発売日 : 2007-11


読んであげるなら 7歳くらい~

(本文の書き出しは、こんな感じ・・・)

あるところに ふどろぼうが いた。

みんなが ねしずまったころ、お金もちの いえの しのびこみ、

こっそり こっそり たからものを ぬすみだす。

とちゅうで だれかに 見つかることもある。

そんなときは ビューンと 矢のような 早さで にげた。


 * * * * *

(以下、あらすじです)

ある夜のこと、どろぼうは古びた大きな家に忍び込んだ。

たからものを探し始めたその時、寝ていた猫のしっぽを踏みつけた。

「ニャー!!」

「おい!だれかいるのか!?」

階段を駆け上がる足音。

どろぼうは、慌てて傍にあった小さな箱を一つだけ取ると、あっという間に逃げ出した。

家に帰り箱を開けてみると、中に入っていたのは土の入った小さな鉢。

「ちぇっ!こんなもの、なんの ねうちもない!」

がっかりして眠ってしまったどろぼうだが、翌朝鉢を覗いて見ると、中から小さな芽が出ていた。

次の日は少しだけ伸びていた。

その次の日も、そのまた次の日も、覗く度に伸びている。

どろぼうはどんどん大きくなる芽を育てることが面白くなって、どろぼう家業から足を洗い、野菜を育てて暮らすようになった。

花の絵を描こうと、町で絵の具やキャンバス、パレットを買って家に帰ろうとした時、

ドカーン!!

ドカーン!!

「せんそうだ!せんそうが はいじまったぞ!!」

*****

どろぼうが泣いたわけ・・・分かりますか?


戦争は全てを失います。

・・・きっと。

愛おしい人、優しい気持ち、当たり前と思っていた暮らし・・・・。

今、私たちもひょとしたら当事者になるかもしれないという危機感のもと、子ども達にどう伝えていったら良いのでしょう?

戦争の本・・・小さな子たちには難しいものが多いですし、直接的過ぎるお話は刺激が強い気もします。

でもこの本は、まだ「戦争」というものにピンと来ない小さな子達の心にも、何か残してくれそうです。

どろぼうが手塩にかけて育てた野菜や花・・・まるで子どもですものね。

今、読んでほしい一冊!

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by yomuyomuehon | 2015-07-09 17:07 | 戦争と平和を考える
あの戦争の記憶を、

語り継いでいらっしゃる人がいる一方で、

口にしたくもない、思い出したくもないと、

硬く口を閉ざしてしまった方も大勢いるようです。

朝日新聞の記事、「語り継ぐ戦争」を読むと、

その悲惨さに、恐ろしさに震え、

そして怒りが込み上げて来て、

涙する事が度々あります。



自分で読むなら、中学生~

この本は、

TBSで放送された、

戦後60年特別企画「ヒロシマ」及び、

「NEWS23クロス」のシリーズ「綾瀬はるか『戦争』を聞く」

を書籍化したもの。

当時のニュース番組をご覧になった方も多いでしょう。

私は見てないのですが・・・

ただ、TVの、時間的な制約のある中では放送出来ない、

語り手が、「思い出すのは辛い」と言葉に詰り、涙される場面で、

話を伺うのも辛いと、インタビューを中断し、

おばあちゃんの浮腫んだ足を摩り、車椅子を押し、

おじいちゃんのミカンの皮を剥いて・・・と、

時に3時間、4時間もかけて被爆者の方に寄り添う、綾瀬さんの姿も描かれています。


戦争の記憶を次世代に継承していくという意味では、

“活字の力“あるいは、”本の力“の方が、よりふさわしいのではないかと、

この番組のプロデューサーが巻末で述べています。


場面は、広島・長崎・沖縄・ハワイ、そして3・11後の東北に別れています。


ハワイでは、婚約者を真珠湾攻撃で失くしたおばあちゃんと、

綾瀬さんは真珠湾のアリゾナ記念館を訪ねています。

アメリカに着いて、「アメリカ人は憎たらしいっ」

何を聞いてもそう答えていたおばあちゃん。

元兵士で、真珠湾攻撃の際、真珠湾の基地に居て、日本の飛行機に対し銃で反撃していたという方に、

「犯人はあんたかもしれん」と、食って掛かったおばあちゃん。

「I’m so sorry,but he was doing his job and we were doing ours」

そう言って、おばあちゃんの手を握り、去って行った元アメリカ兵のおじいちゃん。

その後、そこでアメリカ兵の痛々しい遺体や無残に破壊された建物の写真を目にし、

おばあちゃんの、「憎らしい」という表現が「悲しい」に変わりました。


戦争は、勝っても負けても、悲惨です。

公然と行われる人殺しである事に、間違いありません。

小学校の公民の授業で暗唱させられた「非核三原則」

「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」は大嘘でした。

今の教科書はどうなっているのでしょう?


新しいメディアが次々と生まれ、ニュースのサイクルも早くなっていて、

何でも見た気、知った気になって、

どうしてこんな事が?今後はどうなる?

という好奇心が育ちにくい状況になっている。

この国は戦後、”軍隊”を派遣する事はあっても、戦場で人を殺す事はなく、

一人の戦死者も出していません。

今後もそうあって欲しいと切に願います


とプロデューサーの言葉。


悲惨さを映像で見るだけでなく、

良書によって歴史をしっかり学び、事実を捉え、想像力を働かせ、

平和への道を歩まなければいけないと思いました。



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by yomuyomuehon | 2013-08-23 10:31 | 戦争と平和を考える