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絵本のおかあさん ehonkasan.exblog.jp

子どもたちが通った幼稚園で、絵本の読み語りボランティアのお母さんは、『絵本のお母さん』と呼ばれています


by yomuyomuehon
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パンプキン! 模擬原爆の夏

令丈 ヒロ子,宮尾 和孝/講談社

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小学高学年向け


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パンプキン・・・ハロウィンしか思い浮かばない今日この頃。

これが広島・長崎の原爆の、模擬原爆だったなんて!


1945年7月20日から、日本各地に49発も落とされた模擬原爆。

ファットマンを正確に目的の場所に落とす為の、パイロット達の訓練としての爆弾。

核爆発を起こさなくても、爆弾ではあるので、爆発はする。

それによって命を落とした人も、日本全国に大勢いた。

*****

大阪東住吉市田辺に住む小学5年生のヒロカ。

自分の地元に、ましてやいつも買い物をするコンビニに、昔この模擬原爆が落とされていたなんて・・・

跡地には石碑が立っていたのだが、ヒロカは今まで気付かずにいた。

それを気付かせてくれた、いとこで東京からこの模擬原爆を調べに来た5年生のたくみ。

今まで全く考えた事も無かった戦争の事、原爆の事、そして平和について。

知らなかった事実を知って、色んな思いが頭の中で交錯したヒロカ。

たくみの力を借りて、ヒロカは模擬原爆を自由研究の題材にした。


「知らないことはこわいこと」

だれかが言ってることが事実と違っても、そうなのかなあって信じてしまう。それがいやなんだと、たくみは言う。

だから、調べれば調べるほど、いくらでもびっくりする事、なんで?って思うことが出て来るけれど、知らないより知ったほうが良いから、勉強するんだ。


「こんなん、ようわからん」・・・ヒロカは知れば知るほど出て来る事実に混乱。

そんな時、元教師のおじいちゃんから電話が来て、お昼ご飯に誘われた二人。

おじいちゃんの得意料理・・・それは昔長崎の人から教わったというちゃんぽんだった。

「長崎にはむかしからいろんな国の人が住んではったんや。・・・・そういう違う国同士の文化や習慣や信じるものを尊重する、ええとこやったって聞いたんや。長崎ちゃんぽんみたいに、色んな材料がまじりあって、美味いひとつの味を皆で作り上げる。そんな世界になったらエエなあ。」とおじいちゃん。

それがヒロカの自由研究へのヒントになった。

調べて知ったことの他に、考えても分からない事には『どう思いますか?』ってコーナーを。


自由研究は、今後の暮らし方や更なる研究へのステップであれば良い。

戦争の事を考えると同時に、自由研究のあり方のヒントもくれる良本(^^)

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by yomuyomuehon | 2015-08-28 11:25 | 童話 高学年向け
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小学4年生以上

(以下、あらすじです)

戦時下の、警戒警報が繰り返される毎日。

食べるものも減り、暮らしは厳しさを増す。

そんな中でも、子ども達は今の子達のように(・・・同じではないかもしれないが)元気に遊ぶ。

かくれんぼにたすけ鬼・・・

遊びの最中、皆を探してあちこち歩いていると、也子(かのこ)の目の前に小さなきつねが現れた。

「あんたが、オババのいってた、あの孫むすめにちがいない。」

子ぎつねは、いきなりそう言った。

「あんた、あたしに化かされたい?」

也子はものすごくびっくりした。

そして、散々化かされて目を廻しそうになっているおばあちゃんの姿など、皆から聞いていたキツネに化かされた話が頭をよぎっり、きっぱり断った。

「ぜんぜん。」

これが子ぎつねとの出会いだった。


おきつねさんは人を化かす。

お婆ちゃんはしゅっちゅう化かされた。

でも、お母さんは也子位の時に一度きり。

也子の目の前に現れたのは、まだ「おきつねさん」とは呼べない小さな可愛い子ぎつね。


最初は、皆から化かされた話を聞いていたものだから、この子ぎつねの事も怖かった也子だったが、一緒に遊んでいる内に・・・

ある日子ぎつねはまたもやあの質問をしてきた。

「あんた、あたしに化かされたい?」

答えない也子に、栗をあげるから!柿をあげるから!と食い下がる。

色々想いをめぐらす也子に、もじもじし始めた子ぎつね。

竹やぶに飛び込んでしまいそうだったので、也子は慌てて「白い彼岸花」と答えた。

白い彼岸花は滅多に見つからないはず。

子ぎつねは、町の近くの丘に咲くから見に行ってみよう、と弾んだ声で答えた。

だが次のせつな、灯が消えたようになって、

「この頃町の方には行かないんだった。町には怖い事があるから」とだけ言って、竹やぶに中に飛び込んで行ってしまった。


八月の初め、これが子ぎつねと会った最後だった。


朝からとても暑かった8月6日。

その日、広島に落とされた原爆、ピカドン。

一瞬にして七万を越える命が失われた。

学校に居た也子の腕には、たくさんの窓ガラスのかけらが刺さった。

誰かにおぶられ、逃げていく途中で、黒い雨が降り始めた。


也子がやっと起き上がれるようになった頃には、すっかり秋になっていた。

家に居た者は皆無事だった。

でも、町に出掛けていた者は帰って来なかった。

その後、亡くなった者もいた。


おばあちゃんの話ではこの辺りは農家が多いので、町から逃げてきた人達をたくさん受け入れて手当てしたと言う。

でも助かった人は少なくて、百人ものご遺体を竹やぶで焼いた。

その時子ぎつねが現れたのだと言う。

誰かを探していたようだと。


それ以来現れなくなった子ぎつねはどこに・・・

*****

原爆投下直前まで、子ども達は実に子どもらしい暮らしをしていたのだそうです。

当たり前の暮らしが奪われる事こそが戦争だと、朽木さんはあとがきに書いています。

戦争を経験していない私たちは、見たり聞いたりする事でその悲惨さ愚かさを感じるしかありません。

どこか遠い出来事だった事が、当事者になりかねない事態に・・・・・私達が出来る事は何でしょう?

やはり、この愚かな政権を野放しにさせない事でしょう。


彼らにはこちらを読ませたい!

馬鹿げていると言われるかもしれませんが、武器には武器を・・・なんて、それこそ馬鹿の考える浅はかな事。




外務省は何のためにあるのか?

勉強しかしてこなかった人達には、難しいのかな?


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by yomuyomuehon | 2015-07-24 23:49 | 戦争と平和を考える


 小学3、4年生位~

(本文の書き出しは、こんな感じ・・・)

アジア太平洋戦争で兵隊として中国にいたわたしは、敗戦後、内地へ帰る船のでる港まで四百キロ近くも雪の中を歩いてきたので、すっかりからだをこわしてしまいました。

私はわが家のある横浜が五月十九日の大空襲でやられたことを知っていたし、たとえ焼けなかったとしても、病院があるかどうかわかりませんでした。

一刻も早く母をはじめ家族に会いたかったけれど、このまま帰って家族の負担になりたくないと思いましたので、軍の病院でなおしてから帰ったほうがいいと判断しました。

引揚援護局の窓口でたのんだらようやく入院の許可がでて、長崎県の大村海軍病院へいけといわれました。



 * * * * *

(以下、あらすじです)

大村病院で出会ったのは、被爆した子どもたちでした。

火傷のあとが顔に生々しく残っている子、

髪の毛がごっそり削げて前頭部が赤く光っている女の子、

片腕の無い子、

足を引きずっている子、

肩から背中にかけてやけどで教材模型の山脈のように皮膚がひっつれている子、

まるで地獄からきた小鬼の集団のようでした。

しかし、子どもたちは外観のひどさに比べて意外に元気でした。

みんな人懐っこく、その日の内に仲良くなりました。

わたしはその病院に一ヶ月程入院していました。

子どもたちは病院の中を駆け回り、看護婦に怒鳴られながらも、騒ぎを止めませんでした。

そんなある日、明日の朝早く、機関士であるヨウコちゃんの父が汽車で病院の崖下を通るから、私にも見送れと一番腕白な少年が言いました。

ヨウコちゃんというのは、その病院で五歳ぐらいの一番幼い子で、母を原爆で亡くし、一人で入院していました。

翌朝早く子ども達に起こされ、病院の裏の原っぱに出ました。

寒風が肌を刺し、原っぱは霜でまっ白でした。

「うう、さむいよ―――」

「なかなかこないじゃないか、もう帰ろうよ」

「まってろよ。もうすぐじゃけん」

「あっ、きた!」

岬の先端に玩具のような汽車があらわれました。

「いまに汽笛ばならすぞ」

汽車は間もなく杉木立をぬけて黒い車体をあらわしました。

そして、するどい汽笛を寒さに張りつめた空気をひきさくように鳴らしました。

「ね、鳴らしただろ、うそじゃなかったろ」

あの汽笛は、病院に一人でいるおさないわが子に「がんばれよ」とよびかけている父親の声援でしょうか。

いとしいわが子をしっかりだきしめ、ほおずりしてやるような愛情とそんな境遇に追い込んだ原爆投下に対する憤りがつたわってきて、わたしは胸が熱くなりました。

そんな事があって、わたしと子どもたちの友情はますますかたくなったはずでした。

しかし、わたしが退院し、家に帰る日、子どもたちはどこかに遊びにいってしまって見送ってくれませんでした。

わたしはひどく落胆しましたが、あとになって考えると、あの子達はわたしに裏切られたような気がしたに違いない・・・そう思ったのです。

*****

このお話は、長崎源之助さんの実話です。

かつて長崎さんは、この海軍病院を訪ねた事がありました。

しかし、病院は新しくなり、孤児達の行方はわからないまま。

巻末に長崎さんはご自身の住所を載せています。

あの日さよならを言えなかった子どもたちが、もしかしたらまだ生きているかもしれない。

この絵本を読んで、手紙が来るかもしれないと考えたからだそうです。

2009年8月15日、太平洋戦争が終わった日に横浜で開かれた朗読会の会場で、長崎さん(当時85歳)は、前年に脳梗塞で倒れ、後遺症で出にくくなった声を振り絞るようにして訴えました。

「世界がぜんたい幸福にならない内は、個人の幸福はありえない」

これは、『農民芸術概論綱要』での宮澤賢治の言葉。



注意すべきは、「世界ぜんたいが・・・」ではなく、「世界がぜんたい・・・」です。

「世界がそもそも幸福にならない内は、・・・」と解釈するべきなのかな?

私個人は社会の中で生かされている、社会の中にこそ存在価値があるのだから、それを抜きにして自分だけの幸せはあり得ない・・・とでも解釈出来ましょうか?

実際にあの時代を体験した先人たちのお話は、なにものにも代え難い遺産です。

史実に目を背ける事無く、歴史から学ばなければ、私たちは再び過ちを犯すでしょう。

果たして自分達がかつて学んだ世界史や日本史は、正しいものだったのか?

歴史を語るとき、誰の目線で語られるかによって、その史実は大きく変わって伝えられる事になります。

それは新聞、雑誌、ニュース番組では特に顕著。

ただ、一般市民が体験した出来事は、悲惨さも怒りもそのままです。

それこそが事実。

戦争は、一般市民であるわたし達に何も良い事は無いと伝えてくれます。

ある程度の年齢に達したら、こういう絵本も読んであげて、戦争について話をするのも親の役割では無いでしょうか?

この絵本は、小松崎進先生ご推薦。

先日『ふるさと60』を先生と共に見て、終戦の時先生は20歳だったと伺いました。



「その頃は特攻に居てね・・・あの時戦争が終わっていなかったら、今生きてはいなかったでしょう」と。

最近読み返したいと思っているのがこれ↓



チョットしたブームみたいです。

かつては受験の為の参考書でしたが、今読み返すと色々と見えてくるものがありそうです。

今日、haneちゃんと行って来た国立西洋美術館のラファエロ展でも売っていました(^^;)

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by yomuyomuehon | 2013-05-21 22:45 | 戦争と平和を考える
昨年一番の出会いと言えば・・・

アーサー・ビナードさんかもしれない。


メディアに、講演に書物に引っ張りだこの、

日本語が堪能過ぎる詩人で作家の、米国ミシガン生まれ。

今や、この日本で、知らない人はいないのでないかという程の有名人。


この夏、手にした「さがしています」



広島の平和記念資料館の収蔵品と向き合い、

原爆の恐ろしさ、人間の愚かさを詠った写真絵本。

月に一度の「この本だいすきの会」の支部例会で、

この本を紹介した事がきっかけとなり、

12月26日の暮れの全国集会で、アーサー・ビナードさんの講演が実現しました。


「ことばめがね」の話



日本語では目玉焼き。

英語ではサニーサイドアップ。

卵を割ってフライパンで焼く、朝ごはんの代表格。

(まあ、我が家ではあまり登場しないものですが・・・)

「え―――っ、目玉を焼いちゃった!?」

アーサーさんはそれを想像したら、気持ち悪くて、

しばらく食べられなかったそうです。

私たち日本語で育ったものにとって、目玉焼きは目玉焼きいう料理であって、

目玉を焼いているなんてイメージはありませんよね?

この絵本では、メガネをかけて歩いていると、

横断歩道がシマウマに見えるのです。

横断歩道は英語で ZEBRA CROSSINGだからかあ。

当たり前と思っていた事も、

他の言語を通すと、あらためてその意味を考えさせられます。

私はかなり目が悪いので、メガネは必須。

普段はコンタクトレンズですが、

レンズや眼鏡が無いと、

何も見えなかったり、反ってよく(美しく)見えたり・・・

言葉はコミニュケーションツールであるばかりでなく、

同時にレンズの役割も果たす。

メガネを掛け変えることで、

見えなかったものが見えたり、あらたな発見があったり・・・

更には、物事の本質を掴む事が出来ると仰います。

言語によって、モノの見方が違うのって面白いですね。

が、言葉を置き換える事で、

ちっとも面白くないどころか、大変キケンな事もあります。


アーサーさんのライフワークである反原発。

勿論、この本だいすきの会の講演でも、

巧みな日本語を駆使して、そこに行き着きました。


「原子爆弾」=「atomic bomb」も、

「核兵器」=Nuclear Weaponも、

「ピカドン」も、

「E=mc 」も、

原子力燃料も、

全ては同じはずなのに、

クリーンエネルギーと言葉を変え、

平和利用のPRの下、

その本質をくるんで、見えないようにしてきた政策。

平和利用でもなんでもなく、

大量殺戮兵器である原爆です。

アーサーさんは、「原子炉」という言葉が非常に巧妙だと仰います。

詩人である自分には、絶対に作り出せない言葉。

コピーライターだからこそ、出来得る業だと。


1942年12月2日、マンハッタン計画の下に始まったプルトニウム造り。

そこから、広島・長崎の原爆投下、

第五福竜丸事件、

その後も繰り返される核実験、

そして原子力発電。

「未来へのパスポート」という、

東京電力が学童向けに配布した「原子力エネルギー」について書かれた冊子には、

1942年のこの日が、

電気を作り出す事に繋がった輝かしい日として紹介されているのです。

まさにプロパガンダ。

かの国のプロパガンダについて、私たちはとやかく言いますが、

自らの置かれた立場についてはどうでしょう?

本質を見抜くレンズを持つ事、決心する土台を身につける事が必要だと、

アーサーさんは仰っていました。


「ダンデライオン」、「ほんとのサーカス」の翻訳でも・・・





これらの翻訳で伝えたいのは、

巻き込まれちゃだめ!PRと本質のギャップに気付くべきだという事。


次男を幼稚園に迎えに行く車の中で、夕方聞いているニュース番組。

先の国政選挙の直前、ある大学教授が、

「選びたい政党も無いし、政治家も居ないんだよね、

そこをやつらはわかってないんだよ。

だから若者が投票に行かないのも当然だ・・・」

とか何とか・・・

な~に言ってるんだ!

それでも大学教授か!?

かつては、選挙に行くことを格好悪いと思った若き私もおりました。

が、今自らが置かれた状況の中で、国政選挙に行かないなんて!

こんな事を、

夕方のラジオのゴールデンタイムに平気で言っちゃう大学教授が教鞭を取っているなんて!

どんな状況下にあっても、その中で最善の選択をしなくてはいけない。

そう言えるのが本物だと思います。


暮れの集会でも、小松崎先生は、

右傾化している、今の政治を憂慮していらっしゃいました。


大晦日の天声人語でも、

「昭和の苦い経験は、最後に国を救うのはアクセルではなくブレーキだと教えている」と。


ドイツの先制原爆使用を阻止するために始められたマンハッタン計画。

やつらが持つなら、我々も!は、歴史から学んでいない政治家の愚の骨頂。

白黒はっきりさせる事を望むばかりの政治家は、あまりに幼稚。

かの国の核開発と、わが国の原発は何が違うのか?

同じものじゃないか!

アーサーさんの仰る言葉に、納得しました。

活断層の有る無しに関わらず、原発の存在そのものが危険だと。


自民党は、先の政権が決めた原発ゼロ目標を方針転換しました。

「見抜くレンズ」と「決心する土台」・・・しっかり身につけていかなくては、と思います。


ああ、元旦から熱くなっちゃった。




それにしても、アーサーさんは格好良かった(^^)

有名な絵本作家さんが集まる、暮れの集会の夕食会。

アーサーさんの隣の席を用意してくださると、

小松崎先生が仰ってくださったのですが、子ども三人置いてきているのでとんぼ返り。

アーサーさんにサインを頂きながら、

講演いただくようになった経緯や本の感想など話し、

握手もしてもらったのですが、

きゃーっ、手がガッサガサです―――っ↓

前日は実家で庭掃除、

その日は急いで掃除洗濯をし、

夕飯の支度もして電車に飛び乗ったもので・・・

握手まで想定してなかった(^^;)

ああ、恥ずかしい。

今年の目標は、「キレイにすること」にしようっと♪

手だけじゃなく、いろ~んな意味でね。

というわけで、とりあえず今朝はキレイな黄色いセーターを着てみました(^^)


今年もどうぞよろしく♪


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by yomuyomuehon | 2013-01-01 11:20 | 戦争と平和を考える
第2次大戦の負傷兵のリハビリのために英国で始まったパラリンピック。

そして今大会には戦争で負傷し、障害を負った選手が増えているそうで、アメリカ選手227人のうち20人が現役、もしくは退役した軍人だそうです。

イギリスも然り。

09年に人気コメディアンが

「イラクやアフガニスタンで英国軍兵士がたくさん負傷している。しかし、彼らはパラリンピックでは素晴らしいチームを作ってくれるだろう」

と発言し、激しい非難にさらされましたが、今回のパラリンピック代表が決まると、英BBCは「彼の発言は正しかったのかもしれない」と報道したそうで・・・


9月4日の朝日新聞の記事には、何だか複雑な思いが・・・

私の中では消化できません。


ロンドン・パラリンピックの男子シッティングバレーの背番号「1」のリベロ、ネトラ・ラーナ選手(28)はネパール出身。

故郷のネパールでは仕事がなく、18歳だった2002年に英国軍の外人部隊に志願。

ネパール人傭兵部隊の「グルカ兵」になりましたが、08年、アフガニスタンの南部カンダハルで負傷。

絶望感を抱えながらリハビリをやり遂げ、軍隊で鍛え上げた体でシッティングバレー選手に。

そして・・・

英国代表に選ばれたことを誇りに思う。

英国籍も手にした。

だが、どんなに喝采を浴びても、兵士だった時ほどの満足感は得られないとも話す。

「今よりもいい給料がもらえ、家族に裕福な暮らしをさせられた。もし足が生えてくるなら、またアフガニスタンに戻りたい」

*****



小学4年生以上

いらっしゃいませ

いらっしゃいませ


ヒロシマの 銀行へ

やってくる おきゃくが

みんな わたしを ふんでから

店内に はいっていきました。


あさ 銀行が あく まえに

はやく きた おきゃくは わたしに

すわって まったりも しました。

そのおしりの ぬくさを わたしは

いまも おぼえています。


8月6日の あさも ひとりの おきゃくが

ここに ちょこんと すわっていると 8時15分

ピカアアアアアッと 光りました。

わたしに のこったのは このくろい かげです。


いらっしゃいませ

あなたも ここに すわってみませんか?

わたしは おしりの ぬくもりを さがしています。



あとがきで、アーサー・ビナードさんは仰っています。

・・・・・・

アメリカで生まれ育って、アメリカの教育では原爆投下について繰り返しその必要性と正当性を教えられた。

「原子爆弾(Atomic Bom)」、「核兵器(Nuclear Weapon)」

それは、核開発をすすめた人たちが作った呼び名。

それに対し、「ピカドン」は生活者が生み出した言葉だ。

「ピカドン」に相当する英語は存在しない事に気が付いて、課題を背負った思いがした。

それからというもの、広島の街を幾度となく歩き、人々と語り合い、資料館も幾度となく巡って、展示物と対面してきた。

その展示室の声なき「ものたち」の声が、聞こえてくる時もあって、持ち主の暮らしが見えたりもした。

・・・・・・・

広島平和記念資料館に収められた約2万1千点もの収蔵品。

その中から、14点の声なき「ものたち」が登場しています。

両方揃ったちょっと小さめの軍手、中のご飯は焦げてしまっている弁当箱、色鮮やかな紫色のワンピース、そして8時15分で止まったままの時計など・・・


彼らは語ります。


ヒロシマでのあの日、あの瞬間のことを。

そして今も探し続けている大切な人、持ち主たちのことを。

*****

そしてもう一冊。



一瞬で7万人の人々の命を奪った、ヒロシマでの、あの日の朝の出来事。

その年の終わりまでに10万を越える人々が亡くなりました。

半世紀をとうに過ぎた今でも後遺症に苦しんでいる人々、二度と帰ってこないものを待ちわびている人々が居ます。

20万の死があれば、20万の物語があり、残された人々には、それ以上の物語があります。

この本には、その内の三つの物語が収められています。

その一つが、住友銀行広島支店の階段に腰掛けていた人の、あの日の朝の物語「石の記憶」。

先に紹介した「いらっしゃいませ いらっしゃいませ・・・」と語る石に腰を下ろした女性の話。



私達に出来る事・・・それは“記憶”すること、語り継いでいく事だと、あとがきで朽木さんは仰っています。

どちらも、まだうちの子ども達には早いです。

でもいつか伝える日が来るまで、私が読んで語れるようになっていないと、と思うのです。


最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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by yomuyomuehon | 2012-09-07 23:49 | 戦争と平和を考える