事故が起きたのは、丁度二週間前。
もう、そんなに家を開けているのか…
どうなっているのかな?心配で仕方ない。
しかし、仕事に加えて子ども達の事も、主人が良くやってくれているようで、夕べはコロッケを作ってくれたらしい。
コロッケなんて、私だって最近作ってないのに…というと、
だから、作ってんの❗だそうで。
写メも送られてきた。
だし巻き玉子ってさ、出汁以外に何か入ってんの?子ども達が味が無いっていうんだけど。
塩も醤油も入れなかったらしく😅純粋なだし巻き玉子をを作ってしまったらしい。
それにしても、卵焼きなんて、やったことも無いのに、かなり頑張ってくれている。
申し訳ない気持ちでいっぱい😫
今朝は昨日頑張り過ぎたようで、腰が痛くて寝付けなかったせいか、二度寝してしまい、いつも4:30に目覚めるのが、気づけば6:30。
起きると身体が強張っていて、何となく重いのである。
妹が差し入れてくれた本の中に、ようやく面白いものを見つけた。
タイトルはさておき😅
第一章は「記憶がない」。第二章も「記憶がない 第二段」で、酒によって記憶を無くした大宮エリーの、反省録である。
さて、今回の事故のこと、頭を打たなかったお陰で、とても良く覚えている。
脚立で届かないなぁと、いつものように木に登り、片足で何度か踏んで確かめたつもりだったけど、バキッ❗
やばっ、頭を打ったらまずいと思って、首を丸めたのである。
腰から落ちたあと、左の頭を地面に打ち付けた。
その地面と言うのが、道路でアスファルト。
ちょうど敷地との境界で、運悪く固い地面に叩きつけられてしまったわけである。
私の悲鳴を聞いて、近くにいた母が近寄り頭を起こそうとするから、「ダメっ、救急車‼️」と叫んだ私。
母は救急車を呼びに自宅へ走った。
パニックになっている高齢の母が果たして救急車を呼べるだろうか?
私は力を振り絞って、誰か気づいて❗と叫び続けた。
こういう時、人間は冷静に判断できるものなんだなぁとつくづく思う。
ここは道路、そして田舎道。
注意しないお年寄りに車で引かれたらどうしよう?
そんな不安を抱えながら、痛みにもがき叫んでいるところへ、車の音が‼️
まずい、まずいよ~と、必死に右手を降る。
そうしたら、気づいてくれて、そこに母も戻ってきて…
間もなく救急車の音が聞こえて…
少し安堵の私。
救急車に乗るため動かされるのだが、何しろ背骨の破壊骨折に、腰骨骨折。
痛いなんてもんじゃない。
消防署からドクターヘリで、大学病院に運ばれた。
痛み止を打たれて、CT取って、とりあえず1日様子を見て、痛みが引かなければ、翌日手術ということになった。
パニックになっている母からの電話に加えて、ICUから「今後のことについて、主治医からお話があるので、すぐに来て下さい」と言われたという主人は、目の前真っ暗になったらしく。
残りの人生、一生ベッドだと思ったらしい。
本当に1つ間違っていれば、そうなっていたわけで、こうやって動けるようになったことは、信じられないくらいに嬉しいこと。
翌日、小学校のPTA総会を迎えることになっていた、副会長の私。
とりあえず、連絡しなくちゃ‼️と、持ってきてもらった携帯から、必要最小限の連絡をした。
本当にたくさんの方にご心配、ご迷惑をおかけしてしまい、自分の行動の軽さに反省しきり。
そこからまた一週間近くは地獄だった。
健康でいられることは何よりだ。
身体が動かなくてはどうにもならね。
一般病棟にはお年寄りばかりなのだが、HCUには事故をした若い人が多かった。
私がこうして入院している間、高齢者による事故がまた起きた。
病気と違って、昨日までは元気だった人が片足なくしたりしているのだ。
HCUに居たときには、被害者だった若い女性は、夜中にずっと加害者への恨みを叫び続けていた。
そういう次々運ばれて来る人達に比べ、私なんて軽い方らしい。
授乳中の赤ちゃんを抱えた、事故にあった若いお母さんもいて、痛みに堪えながら搾乳していたのには、涙が出た。
皆さん、交通事故にはくれぐれもご注意を。