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「あきたーっ!」
もれなくどこのご家庭でも、この頃よく聞かれる言葉の一つではないだろうか?
「飽く」という漢字は、『食偏に包』からなる会意兼形声文字で、『食べ物をたべてお腹いっぱい』という意。
と言うことは、もう十分だから飽きたとなるべきである。
この春ほぼ毎日冷蔵庫にあって、はて何度茹でたかしれないタケノコ。
「飽きた」は、私にとってこのタケノコを思い起こさせる言葉なのである。
いくらたくさん食べたからと言って、私がタケノコに飽きたという話ではない。
『あきた』は、この絵本に出てくるタケノコの心の叫びなのである。ん?心の叫びは大げさかもしれぬ。
まあ、突然の心変わりってくらいところか。
たけのこは伐られちゃかなわんと思ったのか、はたまた自分の力を試そうと思ったのか、ただただ大きくなりたかっただけなのか、それとも高い所からよその世界を見てみたかったのか・・・
兎に角、伸びることに飽きるまで、ひたすら真っ直ぐ大きくなるのである。
しかし突然「あきた」と来るものだから、
「えっ!?あきたの?」とこちらは拍子抜けしてしまう。
しかし私はこの「のびるのにあきた」と言うところが好きなのである。
さて、この春長男は高校生に、次男は中学生になった。
次男は中学でも水泳を続けると言っていた。
卒業文集にも将来は水泳選手になってオリンピックに出たいと書いていたし、
『10年後の私』という題の図工の塑像でも、泳いでいる自分を作っていた。
タイムも急激に速くなって、リレーも楽しみだし、夏の全国大会には個人で出場出来そうだと、本人も思っていたようだし、私も期待していたのだが、
卒業式の日の夜の水泳練習の後、車に乗り込むなり
「おれ、今月で水泳やめるから。」
「はっ!?」
「だから、中学では部活やるから。それにもう水泳は飽きた」
オロオロするのは私で、本人は至って涼しい顔。
入院中の父親に伝えると、「もったいない。今まであんなに頑張ってきて・・・良い感じになっているのに・・・よ~く考えろ」と。
2日ほど経ってから、父不在の食卓で兄と妹と私とで、本人の心の内を聞いた。
彼は泣きながら今までの苦しみを吐きだしたのである。
二年前、全国大会のリレーの決勝でメンバーを外された。
小学5年生が背負い込むには重すぎる枷であった。
練習への取り組み方は、周りから見ても以前とは大分違っていたらしい。
それはタイムにも表われた。
しかし、あの時から仲間とは距離を置くようになり、とても楽しそうとは思えない顔つきになっていった。
そして二年前の屈辱を晴らしてやるばかりに意気込んでいたこの春のジュニアオリンピックだったのだが、コロナ禍で中止となり、彼の中の何かがポキンっと折れてしまったのである。
仲間と距離間があるのを感じて、中学では部活を!と進めていた私ではあったが、まさか本当に辞めると言うなんて・・・
矛盾しているが、いざそうなると相当さみしい。
一通り泣きながら話した後、彼は医師になりたいと言い出した。
父親の病気のことも、医師である叔母の話や大学病院に勤めるもう一人の叔母から聞く医師の話も増え、医師という職業を身近に感じさせたのだろう。
行きたいと思っている高校には、水泳の練習をしながらでは無理だ。塾に行かせてくれとも。
次男には、ちいさな頃から何をやるにも止めず、かなり自由にさせてきた。
だから時には呆れるようなことも、危ないこともあって、というか結構あって・・・
我が強すぎる子で人の指示には断固として従わない子だったが、反面自分の進むべき道を自分でしっかり決められる子に育っていたらしい。
「飽きた・・・」
他人は、本当に飽きるほどやったか?と言うかもしれない。
しかし小学生としては、この二年間に全身全霊を掛けて「飽く」ほどやってきたのかもしれぬ。
本当の彼の心の内は、彼にしか分からない。
ただ一つ言えることは、
『きのふの我に飽くべし』
君の未来はまだまだ限りなく広がっている。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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