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なが~いタイトルに惹かれて、手に取ったこの本は、WEB福音館で連載されたものを一冊にまとめたもの。
・・・
「本を読めって」
きみは、いった。ちゃぶだいのわきにすわった。
「なんだって?」
ぼくは、いって、黄いろい、おき時計を見た。あと二分。
「せんせいが、おまえは本を読めっていうんだ。ことばがなってないから」
この話は長くなるかも。ぼくは、おもった。
「ラーメンくいながら、きいてていい?」
「いいよ」
開けっ放しの玄関から、どんどん部屋に入ってくる少年と、カップ麺のお湯を入れたばかりの中年のおじさん。
果たしてこの2人の関係は?
中年のおじさんは本の虫であり、少年は近くに住む小学生であるらしいのだが、
少年のお母さんとこの中年のおじさんの関係が微妙。。。。
ひょっとして、元夫婦?
この子は、実は息子なの?
なんだか、最近読んだ
を思い出す。
しかし、更に読み進めると、この子のお父さんは亡くなっていて、この中年のおじさん(主人公)とお母さんと亡くなったお父さんは友達だったことが分かった。
亡くなった友に代わって、この少年を大人に導く役回りって所。
その導く手段は「詩」である。
10章に分かれているのだが、少年の問いかけに対し、毎回二つほどの詩を紹介しながら応えている。
で、第一章の「ことばのじゆう」では、ゲームばかりしてないで、本を読めっ、と少年は先生に言われたと訴えに来たところから始まる。
「ゲームのほうが、ぜんぜん、おもしろいよ」って先生に言ったところ、
「ほら見ろ、ことばが、なってない。ぜんぜん、の、あとは、否定がくるんだ。ゲームばかりしていて、本を読まないから、そんなまちがったことばをつかうんだ」とか
言われたそうな。
それに対しておじさんが勧めたのは、
『あの』藤冨保男
あなたも笑ったし
僕も笑わなかった
のであった
のであったり
世界は何を待ってるか
と云う人がいて
何だかさっぱり分からない人もいて
そして
待っていたのである
のではなかったり
のであったりした
のであった
ところで
実際は
極端に
巨大に
その上なんでもなく
横か
縦を振り向いて
笑ってしまった
そして
そうであった
とか
ねじった
とか
なんだか
そうではないライオン
である
ということにしてしまった
う~ん、意味不明。
更にもう一つ藤富氏の『か』を紹介。
詩って、こんなでたらめでいいの?と問いかける少年に、
でたらめを書いてもいい。でもでたらめをやれといわれて、やれる人は、なかなかいないとおじさん。
簡単だという少年に、
じゃあ、でたらめをしゃべってみてとおじさん。
ちゃんと考えないと出来ない、でたらめは難しいと気付く少年。
『ゲームの方がぜんぜんおもしろい』は文法的にでたらめかもしれない。
けど、そこには、そうじゃないという少年の否定の気持ちが入っているから、正しい言葉だというおじさん。
それは辞書には載っているはずのない、すきまにしかないものなんだ。
なんだか哲学的!
でも、そんなことを先生に言ったら、余計に怒られちゃうけどね(^^;)
先生はこんな事言ってくれないもんね。
こういう事を話してくれる第三者って大切だな。
文法を学ぶとか、日本語を学ぶとかじゃなくて、本を読むってやっぱり大切!
そういう結論に達しちゃうのである。
哲学的な、この時期に読んであげたい絵本を一冊。
小学3年生以上向け(1,2年生では、世界観を理解出来ないと思う)
アルビン トゥレッセルトとロジャー・デュポワザンコンビの作品って素敵♪
井の中の蛙大海を知らずが大海を知っちゃうお話なんだが、
原作は「THE FLOG IN THE WELL」で、直訳すれば井の中の蛙である。
それを「せかいのはてってどこですか」とした三木卓さんの訳は素敵!
安穏とした世界で暮らすも良し!
だが、若者は世界を見に行って欲しい。
世界の果てとまでは言わずとも、広い世界に飛び出してほしいものである。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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