メイちゃんの生き方に学ぶ☆「私が今日も、泳ぐ理由 パラスイマー 一ノ瀬メイ」

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小学3年生位~
スポーツ選手や世間で活躍する人の自伝を読んだり、子ども時代の育ち方、そして親の関わり方を聞くたび、
ああ、私は自分の子どもの可能性をつぶしているな。。。と思う。
ありのままを受け入れ、とことん前向きの応援する。プラス思考で育てる。
そんな姿勢が感じられる。
一方の私は、子どものやる気を損なう育て方をしているよなあと反省するばかりだ。
一ノ瀬メイちゃんは、きっと前向きな両親のもとで、前向きな両親のように育ったのだろう。
メイちゃんは、生まれながらに右の肘から下が無い、「先天性の右前腕欠損症」である。
しかし、
2015年度
50m自由形クラスS9:31秒06(日本記録)
100m背泳ぎクラスS9:1分18秒97(日本記録)
2016年度
200m個人メドレークラスSM9:2分41秒35(日本記録)
50m平泳ぎSB9:40秒8(アジア記録)
100m平泳ぎSB9:1分25秒83(日本記録)
と、輝かしい記録を持つ。
片腕が無い状態で泳ぐというのは、バランスがいかに取り辛い事か?
それなのに、こんな速さで泳ぐのだ。
これは選手コースで毎日泳ぐ速い方の小学3,4年生の記録に匹敵する。
それでも世界は、パラリンピックの世界水準はまだ上にあるのだから、肢体不自由の身体障害者っていうのはどうなんだろうって思わざるを得ない。
メイちゃんはかつて高校生の時の出場した英語スピーチコンテストで述べている。
「私には『障害をもたらせれている』と感じることがあります。それは、他の人に私の腕をじろじろ見られたときや、私のことをよく知らないのに『障害者』と決め付けられたときです。
9歳の時、スイミングスクールへ入会しに行きました。競泳クラスに入るためです。けれどもそのクラスには入れてもらえませんでした。私の短い右腕を見ただけで、障害者のための特別なクラスにしか入ることができない、とことわられたのです。
実際には泳げるのに、競泳クラスの生徒と同じように泳げるわけがないと、決め付けられてしまったのです。
私はそのとき、生まれて初めて障害者であることを意識させらました。
そのスイミングスクールが私を障害者にしたのです。
今、私は競泳の選手です。韓国の仁川で開催されたアジアパラ競技大会へも出場しました。そこで私は、銀メダル二つと銅メダル二つを獲得してきました。
もし、あなたが泳げなければ、海の中では障害者です。
でも、私はあなたに泳ぎを教えてあげることができます。そうしたら、あなたは海の中の障害者でなくなりますよ。」
父親方のイギリスで暮らしたことのあるメイちゃん。
何でも自分で出来るのに、日本では障害者と呼ばれる事に違和感を感じるそうだ。
イギリスでは、心身の機能が損なわれている人を、disabled person=『できなくさせられた人』と呼ぶのだそうだ。
イギリスには障害について『個人モデル』と『社会モデル』の二つの考え方があり、個人的に能力が欠けているか、社会が作り出しているかという違いがあるという。
車椅子の人が町を行くとき、段差や階段がなければ通行に困らない、車椅子であっても障害を持つことにならない。
この社会モデルを考えた時、それを作り出しているのは人、私たちであるかもしれないと。
丘修三さんも言ってたっけ。
人間は誰でも年を取れば皆障害者になる可能性があると。
で、今、メイちゃんは障害者なのか?
オリンピック選手としてはやはり難しい。
でも、何でも自分でやってしまうメイちゃん、健常者でも敵う事が出来ないメイちゃんを、競技は別として、障害者と区別するのはおかしな事。
何しろ、彼女が人にどれだけの力を与える事が出来ているか?
彼女が今日も泳ぐ理由は、その障害に対する社会の目を変えたいからだという。
メイちゃんの場合は、泳ぐ事がその発信になるのだそうだ。
園児との時から、縄跳びも、鉄棒の逆上がりの連続6回転も出来たというメイちゃん。
バレエも習い、補助なし自転車にも乗れた。
おそらくかなり運動神経が良かったはず。
そして、「メイならできる」という前向きの言葉に励まされて育った事も後押ししたのだろう。
人は掛けられた言葉によって育ち方が違うんだよなあ・・・・
そう思う。
が、分かっていてもそれが出来ないのは、自分がマイナスの言葉を掛けられて育てられたからではないか?
しかし、そう思うならば、我が子に逆をやらねばなるまい。
今ならまだ間に合うはずだもの。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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