人は皆、障害者☆丘修三さんの本に学ぶ

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早くも一週間以上経ってしまいました。
1日(土)に聞きに行った、戦争体験の語りと丘修三さんの講演「障害者と戦争」
少し前に紹介した、
は、丘さんが養護学校教諭時代に体験した事を元に作られた短編集で、「丘修三」としての処女作。
最近出ている障害者を扱った児童書を読むなら、こちらを手に取るべき良本です。
執筆にあたり、丘さんが影響を受けた本は、
おお、どれも画像がないですね(^^;)
ってことは、需要がない、読まれていないんですね。
「これらの作品は甘くなく、現実を丸ごと受け止めたうえでの、対象に対する愛情を感じました。シビアな目で現実を見ることとその表現法を学びました。」と、
丘さんはこちら↓の中で仰っています。
今回の講演でも丘さんは仰っていましたが、上でも語られています。
「障害児教育にたずさわらなかったら、彼らに対して多くの偏見、差別観を持ち続けたであろうと思う。」
「自分は、高慢な理想を持って現場へ入った教師ではなかった。脳性まひの子ども達に初めて接した時、なんて汚い、臭い、醜い子ども達だと思った。触れることも恐かった。いやいやながらの毎日だったが、彼らと共に暮らしている内に気持ちが変化してきて、段々可愛くなってきた。共に歩む事、共にあること、つまり共存する事によって、思想や理念が作られていくということを、自分の身体を通して実感した。」
以下はこの講演では語られませんでしたが、丘さん同様、私も頭をガンと殴られたようなショックを受けました。
「横浜で脳性まひの青年が、将来を悲観した父親に絞殺された事件で、父親に同情した人達が減刑嘆願の運動を始めた。わたしもその場にいたらすぐにでもしたと思う。しかし、これに猛烈に反対したグループがあった。それは脳性まひの青年グループで、『減刑たんがんするというのは殺す側の理論だ。殺される側は全く無視されている』と言ったのだ。父親に対する同情ばかりで、殺された脳性まひの息子の事は、殆ど意識されていなかった。わたしは自分が殺す側にいる、たえず多数派に属してものごとを見ていたんだなあと思った。」
今回の講演のあと、この本↓を読みました。
<あとがきより>
私は長い間、養護学校の教師をしておりました。養護学校というのは心のはたらきやからだに障害を持った子どもたちが通っている学校です。
二十数年の教師生活で、私が直接担当した子どもの数は、わずかに百二十名ほどでしかありません。クラスの人数が少ないことや、おなじクラスを何年も続けて受け持ったりしたから、意外と少ないのです
ところが、なくなった子どもたちの数は、大変多いのです。
短い人生を、障害という重い荷物をせおって、かけぬけるように天国へ旅立った子どもたち。ひとりひとりの笑顔が、いまでも私のまぶたに焼きついています。
進行性筋ジストロフィーの病を背負ったぼく。
お父さんは家族を置いて家を出て行った。
残ったお母さんは仕事に、そしてぼくの世話に疲れ、いつも機嫌が悪い。
そして、妹も何も出来ないぼくを馬鹿にしたような態度を取る。
ぼくの体調も、そして回りの状況もも悪くなるばかり。
ぼくは何にすがって生きていけばいいのだろう。
しげるが語るように心の叫びや日常を綴ったお話。
重度の障害を持つしげるの話ですが、親としてこの話を読むと、う~んうちの子達にも通じるものがあるなあと思ってしまう、子どもの気持ちについて考えさせられるお話。
このお話にもモデルがあり、その生徒はこの物語に近い状況の中で生き、そして病気の進行により20歳で亡くなりました。この作品は、その青年への鎮魂歌のつもりで書かれたそうです。
丘さんの障害をテーマにした本にはもう一冊
もあり、「ぼくのじんせい」が丘作品の集大成と言われています。
しかし、もう一つやらなくてはいけないと考えていらっしゃったのが、戦時下での障害児の暮らしでした。
それについては、また次回ご紹介します。
上は、12月15日(木)久喜市総合文化会館で上映されます。
丘さんも仰っていました。
同じ校舎で共に生活することが、お互いの理解に繋がると。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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