「わたしたちのトビアス」

にほんブログ村
読んであげるなら 6歳くらい~
2年前、幼稚園の保護者会主催の講演会に、写真家で絵本作家の星川ひろ子さんをお招きした。
星川さんのご長男は、障害を抱え、グループホームで暮らしている。
星川さんは、講演会の中で仰っていた。
「ちいさな時からハンデを持った子と過ごす事が、偏見に繋がらない」と。
(以下、あらすじです)
トビアスには姉が4人。
ママは、トビアスが障害を持って生まれてきた事に、ショックを隠せなかった。
パパもママも、特別な施設にトビアスを預けようかと、子ども達に相談した。
でも、それを聞いた子ども達はカンカンに怒って、トビアスに手が掛かるのなら、皆で手伝うのが当たり前だと言った。
病院へ行って、初めてトビアスを見た子ども達は、一目でトビアスを好きになった。
染色体の数が一個多かろうが、普通の子と同じ事が出来なかろうが、そんな事はどうでもよかった。
トビアスという弟が大好きなのだ。
ある日、町でお祭りがあって、障害を持った子達は、健常者たちから少し離れた所で見学する事になっていた事に、理解が出来なかったトビアスの姉達。
ママは言った。
普通の子ども達は、普通でない子達を恐れている。
普通でない子ども達も、普通の子ども達を怖がる事もある。
皆一緒に暮らさないから、お互いに分かり合えないのだと。
この本は、
トビアスの家族が、ダウン症について書いてある満足いく本が見つからなかった事から、自分達で書いてみようと試みたものである。
絵はみな、トビアスが生まれるまでは末っ子だったヨハンナ7歳が描いた。
子ども達の目で見、そして感じた事は、真実である。
そして、そこには偏見がない。
付録に、御茶ノ水大学津村教授の言葉がある。(一部紹介)
「障害者の教育問題は、特殊な学校や施設をつくるだけですむことではない。また、普通のが学校や幼稚園にいれればそれですむ問題でもない。
ある段階では、個人的に、あるいは少人数で、きめのこまかい指導が必要である。
しかし、どの場合にも、能力の向上や社会的適応のみを問題にするではなく、心を和ませて、共に生活し、その生活の仕方を工夫してゆく事が大切 だと思う。」
ハンデを持った人の将来を考えた時、生きてゆける力を付けてあげる必要があると思っていた。
でも、そうじゃなくても良いんだ。
社会が守ってあげることも大事なんだ。
でも、先日の相模原やまゆり園での事件について、
障害を抱える子を持つ、和光大学名誉教授の最首悟さんは、
「いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」と、朝日ウェブで表現している。
生産能力のある人だけが、出来る人間だけが必要とされる社会。
それは1億総活躍社会だか何だか・・・そんな事が声高に叫ばれる、心のちっちゃい人間の小さな小さな世界が今、作られようとしている。
そんなこと言われたら、私だって、もう多分・・・いやいや絶対に、もう子どもは産めないし、仕事もしてないし、(今の社会では、主婦業やボランティアをを労働とは言わないらしいので・・・)生産能力のない人間である。
教員だったらしい犯人の親は、人に勝つことを、小さい時から教え込んではいなかっただろうか、と考える。
最近、私もつくづく自分で言っていてイヤになるのだが、
勝負の世界に身を置いているから仕方ないのだけれども、
それでも、
子ども達には「勝つこと!」を、一日に何度言っているだろう。
それは私が、もっと頑張っていれば・・・と思う過去を、子ども達に託しているからに他ならず。
オリンピックでは、それまでに頑張って来た事は認められず・・・
勿論それが勝者でメダルを持ち帰った人間であれば、その過去の努力や挫折が取り上げられる。
世間は勝者にのみ微笑むものだ。
だからこそ思う。
傍で見ている人間は、結果がどうであれ、その努力を認め、陰ながら見守ってあげなくてはならないのだ。
だから、つくづく反省する。
ダメだ、ダメだと貶すより、昨日より、一昨日より成長をした事を認めてあげなくちゃいけないのだ。
出来る事が、出来ることだけがよいと教えられて育ったら、出来ない子を馬鹿にするに決まっている。
そのままの存在を丸ごと受け止め、愛してあげたら、その子は自分も、そして他人をもきっと大切にする子に育つに違いない。
命を宿した時の歓びは、健常者であれ、ハンデを持った子であれ、親にとっては同じはず。
大切な子の命を、身勝手な理由で、他人に奪われた家族の事を思うと、息苦しくなる。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
* * * * *
ランキングに参加していま~す
お帰りの際に、ポチッとよろしく~!!
↓ ↓ ↓

にほんブログ村