子どもの育ちを確認☆「子どもたちの遺言」
その大きなたんこぶを、たいちは『てんこぶ』と呼ぶ。
幼稚園は2時半までだが、その後5時半まで毎日延長保育をしている。
私は働いているわけではないが、
同じ年の友達と、とことん遊びこむ事を目的としてやっている。
その日は缶けりをしていて、
缶を蹴る為に、勢いよく土管から飛び出した所で、
鉄の支柱に激突したらしい。
きっと☆☆☆☆☆・・・・が出たと思う。
昨年だったかhaneちゃんも、
前頭部をコンクリートに打ちつけ、
翌朝複数回に渡って吐いた事があって、
慌てて救急車を呼んだ。
その夜、園長先生からも電話を貰い、
注意すべき事について説明を受けたのだが・・・
丸二日経った日曜日も、ピンピンしていていた。
いつものように、留まる事無く動き続けていた(^^;)
土曜日は、スイミングスクールで目をゴーグルで押さえつけていたせいか、
左目の上が内出血して、プールから上がって来た時には、
左目を殴られたのでは!?と思うような青タンが出来て、
まあ、翌日はそれも大分収まったのだが、
丁度、瞼と鼻筋の所が青黒くなっていたので、
彫りの深い国の子のようになっており、
まつげびっしり、おメメパッチリのたいちは、
「おかあさんかおとうさんが、外国の方?」
な~んて聞かれそうな顔になっていた。
一週間経った今、まだ青タンが消えないが、
地黒の上に、更に日に焼けているので、
あまり目立たない(^^;)
先週初めまで、夜中の寝言が酷かった。
「しねーっ」とか、「やめろーっ」とか、「ばかやろーっ」・・・とか。
その上、バタンバタンと暴れ周り、隣で寝ている私はガーンっと殴られて、痛いの何の!
それでも、そうたとhaneちゃんは全く起きないから凄い!
それが3週間以上続いていた。
どうやら友達との関係でトラブルがあって、案外内弁慶のたいちは何も返せず、
その溜まりに溜まったものが、夜中に出るようで・・・
そういう傾向は前にもあったけど、暫く無かったので忘れていたのだが・・・
泣きながら、「やめてーっ」とか「やだーっ」だった寝言がエスカレートして、
「しねーっ」ってなった時、さすがにこれはおかしいと思って園に相談。
そして、本当に久し振りに、寝言で友達の名前を呼びながらゲラゲラ笑っていたのが、
この怪我をした前の晩の事だった。
少しほっとしていた所へきて、何でまた怪我!?
半ば呆れる父と母。
「でもオレねぇ、二回缶けったんだよ☆」
今もまだ小さいが、もっともっと小さい時から、この人は本当に怪我が耐えない(><)
*****
読んであげるなら 6歳くらい~
「走る」
ぼくら走る
野原を走る 道を走る
街を走る 荒地を走る
ぼくら走る
丘を越え 海を越え 国境を越えて
ぼくら走る いっしょに走る
でもぼくら違う
ひとりひとり顔も心も
ぼくら走る
心の中の見えない道を
息を切らして 汗にまみれて
歌いながら 考えながら
どこなのか分からない
限りない遠くを目指して
転んだら起き上がる
迷ったら立ち止まり・・・
雲を見る 風を聞く
そして話し合う 友だちと
*****
へその緒がついたままの、生まれたばかりの赤ちゃんから、
成人式を迎え、大人の仲間入りを果たすまで・・・
田淵さんが撮った子どもたちの様々な表情に、
谷川俊太郎さんの詩が付いています。
私たちが普通子どもを撮った時、
そこには大抵カメラを意識している子どもの姿があります。
でも、ここに写る子どもたちの表情は、
カメラがそこに有ることを全く気にしていない様子。
そして谷川さんの詩は、
そこに写る子ども達がさも喋っているような、
子ども達の声が聞こえてきそうな詩。
谷川さんが77歳の時に書き下ろされたものですが・・・う~ん、すごい!
谷川さんは巻末で、こう仰っています。
「年をとるにつれて、
子どもの身になって、
あるいは若者の身になって詩を書くほうが書きやすいと思うことが多くなった。
乱暴なたとえだが、
大人の言語がだんだんデジタル化してゆくのに反して、
子どもの言語はアナログにとどまっている。
大人の言葉がもっぱら頭脳から発せられるのに対して、
子どもの言葉はからだ全体から、
そして心の表情からではなくその底のほうから発せられる。」
アナログな子どもの言葉、からだ全体から発せられる言葉・・・なるほど!
今、自分の子どもたちは、子ども時代のこの辺りかぁ、
そう言えば、こんな時もあったっけ!
これから、こういう事もあるんだなぁ
な~んて、しみじみ。
その上、自分の子ども時代も思い出して、
いつから、自分は子どもの要素を持ち合わせなくなってしまったのだろうか?
考えても出てこないのだけれど、
動物的な、原始的な、自然に近い感覚や言葉をすっかり失くしてしまった自分に、
こうして書いていると、がっかりする事がよくあります。
それにしても、
「子どもたちの遺言」というタイトルには、
子どもの未来に責任を持たねばならない大人としては、胸が締め付けられます。
果たして私たちは、子ども達が飛び出して生きたい!と思える世界を創造しているか?
子ども達の、これ以上ないだろうと思える笑顔を失うような事をしていないか?
深く考えさせれます。
今日は小学校のオープン参観でした。
私達夫婦の、一番の目的は二時間目の体育で、シャトルラン。
そうたの懸命に走る姿が見たい!
体育館の長手を使い、20mを行ったり来たり、走り続けます。
合図音は開始当初は時間間隔が長のですが、約1分ごとに短くなっていきます。
二回連続して線にタッチ(踏む)出来ないと終了となり、
徐々に脱落していくサバイバルレース。
そうたの記録は75回。
クラスで早い男の子を、横目でずっと意識しながら走り続け、
残り三人となり・・・
その男の子が脱落したのを確認して、
勝った!と確信したそうたは、
一回多く走って終了。
声を掛けても、全く返せない位、はあはあはあはあ・・・・・
負けない!って気持ちが漸く出てきたらしい。
・・・が、すっごい女の子が居て(^^;)
なんと、
間もなく100回ってところまで走った!
凄い凄いとは聞いていたが、
これにはそうた、とても敵わない(><)
あと3年の内に、逆転出来るかなぁ・・・
今、週に4~5日泳ぎ、休日走っているそうたは、
母から見ても後姿が格好イイ☆☆☆
久し振りに、一生懸命なそうたの姿を見れて、とても嬉しかった母です(^^)
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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