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父方の伯父の家があり、かつて所属した書道本部のある台東区谷中。
幼い頃から縁が無かったわけではない土地である。
この本を読み始めた矢先、国立博物館で開催中の恐竜博に子ども達と訪れた。
何やら催し物をやっている噴水公園を見ながら、西郷さんの銅像付近に並んでいた、青いブルーシートと段ボール囲われたホームレス村はいつから無くなったんだっけ?と考えた。
半世紀も生きている私からしたら、ついこの間まであったもののような気がする・・・
人の表も裏も一緒くたんに飲み込んでいた、色んな臭いのした上野公園は、いつの間にやら、西洋人も多く、文化的臭いばかりの公園になっていた。
かつて徳川家の菩提寺だった寛永寺は、上野公園一帯(東京ドーム26個分もの広大な敷地)を有していたが、江戸末期、旧幕府軍と新政府軍の戦いで大部分を消失し、その後日本初の公園として整備され始めるが、一方ディープな部分も残っていた。
そして大空襲で東京は焼け野原となった。
世界遺産として登録された西洋美術館のあたりには、戦争で何もかも失った人びとが暮らす葵部落と呼ばれる集落が出来た。
物書きの主人公「わたし」は、ひょんな事から友達になった喜和子さんから、図書館が主人公の物語を書いてよと頼まれる。
帝国図書館の歴史を紐解く事は、喜和子さんの幼少期の思い出を探すことでもあった。
喜和子さんは、嫁いだ九州の地で、男尊女卑の扱いを受け、夫も子どもも置いて家を飛び出し、かつて子どもの頃に居た上野の地に落ち着く。
喜和子さんが子どもの頃に居た上野の地・・・それが葵部落だった。
喜和子さんはそこで、夫婦のような生活を営む復員兵と、男娼を思わせる「朝帰り」の兄さんと暮らしていたことが、喜和子さんの死後に分かる。
喜和子さんの人生の謎解きと同時進行で語られる帝国図書館の歴史。図書館がまるで人格をもつものであるかのように語られていく。
かつての文豪も多数登場し、本好きにはたまらない物語である。
「わたし」が喜和子さんを通して知り合った、喜和子さんの元愛人で怒りっぽくて涙もろい元大学教授や、その後恋人関係になったホームレスの青年、更に喜和子さんの家を間借りしていた芸大生で女装趣味の雄之助君など、個性的な登場人物も、固くなりがちな歴史物語にエンターテイメント性を加えている。
執筆中に起きた#me tooの動きも、物語に一役買ったようだ。
中島さんは男女雇用均等法後の第一世代。
それなのに、まだ世の中は変わっていないと言う。
今朝の朝日新聞で取り上げられていた
も、合わせて読みたい。
一方的な報道や自己中心的なネットの情報になどに惑わされる事無く、ちゃんと歴史の真実を見なくてはならないと思う。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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