絵本のおかあさん ehonkasan.exblog.jp

子どもたちが通った幼稚園で、絵本の読み語りボランティアのお母さんは、『絵本のお母さん』と呼ばれています


by yomuyomuehon
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<   2013年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧


読んであげるなら 5歳くらい~

(本文の書き出しは、こんな感じ・・・)

「よくお聞きなさいね」ママがいいました。「パパとママはこれから

オペラをみにいって、そのあとでお客さまを何人かお連れします。

だから部屋をちらかしちゃだめよ」「わかったね」パパがスカーフをコートのなかにしまいこみながら念をおしました。

ママは鏡を見ながら、注意ぶかく頭にぼうしをとめると、ひざをついて、ピーターをジュディに「いってきます」のキスをしました。

玄関のドアが閉まると、ピーターとジュディはうれしくって、くすくすと笑い出しました。

二人は、おもちゃ箱から、もっているおもちゃを全部取りだして、あたりをちからしはじめました。

でも、しばらくするとつまらなそうにすわりこんでしまいました。

とうとう、ピーターは、いすにつまらなそうにすわりこんで、いいました。

「もうあきちゃったよ」

「わたしも」ジュディがため息つきながらいいました。

「ねえ、外にいってあそびましょうよ」


 * * * * *

(以下、あらすじです)

二人は公園の木の下に置いてあったゲーム

「ジュマンジ―――ジャングル探検ゲーム」

を見つけ、家に持ち帰りました。

そのゲームは、二人が前から持っているゲームに似ていました。

そして、注意書きにはこう書いてありました。

イ、ゲームをする人は自分のコマをきめて、それをジャングルのいちばん奥におきます。

ロ、さいころを二個ふり、危険なジャングルのなかを道順に進んでいきます。

ハ、最初にジュマンジについて、その町の名前を大きな声で叫んだ人が勝ちです。

ニ、とても、大事なこと。

いったんこのゲームをはじめたら、だれかがジュマンジにつかないかぎり、ゲームはぜったいにおわりません。

ピーターが最初にさいころを振り、コマを七つ進めました。

「ライオンがおそってきた。二コマもどる」

ジュディが指示書きを読みました。

「ああ、こりゃおもしろいぞ」

ピーターが、ほんとうはおもしろくもないのに、いいました。

ピーターがコマをもどそうと手をのばしながらジュディのほうを見ると、なぜかジュディはとてもこわがったような顔をしていました。

「ピーター、――っと、そ――っとうしろを見て」震える声でささやくジュディ。

ピーターが後ろを振り返ると・・・・

*****

なんてスリリングなボードゲーム!

退屈しきっていた姉弟にとって、これ程うってつけのゲームはないでしょう。

私もやってみたい・・・か・な?・・・・う~ん、やっぱ遠慮したいです。

得体の知れないものには手を出さないのが懸命ですね(^^;)

そして、クリス・バン・オールスバーグのコンテペンシルとコンテ粉を併用した白黒の絵は、写真のようで、絵の中に引き込まれるような錯覚をもちます。

ゲーム漬けで、フィクションのノンフィクションの世界の区別がつかない子どもたち(大人もいるか!?)に、是非とも味あわせたいゲームですね。

癖になっちゃうかな?


「ジュマンジ!」

あらん限りの声で叫んだジュディ。

すっごくハラハラドキドキした冒険を終え、二人は一言もしゃべらずにゲームを箱に仕舞いこみ、公園の、元置いてあった場所にゲームの箱を捨てました。

家に帰り、二人は散らかっていたおもちゃを片付けると、物凄い疲れが襲って来て寝てしまいました。

「二人ともおきなさい」

ママの声がして目を覚ますと、お客さまを連れたパパとママが帰って来ていました。

やがて、二人が始めたパズルを見て、お客様のバドウィン夫人が言いました。

「むずかしそうね。ダニエルとウォルターときたら、パズルをはじめても最後までやったためしがないのよ。やり方さえろくに読まないんだから、その内ちゃんと出来るようになるのかしら?」

ダニエルとウォルターというのは、バドウィン夫人の子どもです。

「きっと出来るようになると思うよ」と答えながら、二人は窓の外を見ていました。

二人の少年が細長い箱を抱え、公園の中を走っているのが見えました。

・・・とこの話は続くのです。

それはこれ↓


私はまだこちらを読んでないのですが、続きと知って、読まないわけにはいかない!

今度はどんなゲームが始まるのか、と~っても気になります(^^)

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by yomuyomuehon | 2013-05-26 11:46 | おもしろ絵本 | Trackback | Comments(2)


 小学3、4年生位~

(本文の書き出しは、こんな感じ・・・)

アジア太平洋戦争で兵隊として中国にいたわたしは、敗戦後、内地へ帰る船のでる港まで四百キロ近くも雪の中を歩いてきたので、すっかりからだをこわしてしまいました。

私はわが家のある横浜が五月十九日の大空襲でやられたことを知っていたし、たとえ焼けなかったとしても、病院があるかどうかわかりませんでした。

一刻も早く母をはじめ家族に会いたかったけれど、このまま帰って家族の負担になりたくないと思いましたので、軍の病院でなおしてから帰ったほうがいいと判断しました。

引揚援護局の窓口でたのんだらようやく入院の許可がでて、長崎県の大村海軍病院へいけといわれました。



 * * * * *

(以下、あらすじです)

大村病院で出会ったのは、被爆した子どもたちでした。

火傷のあとが顔に生々しく残っている子、

髪の毛がごっそり削げて前頭部が赤く光っている女の子、

片腕の無い子、

足を引きずっている子、

肩から背中にかけてやけどで教材模型の山脈のように皮膚がひっつれている子、

まるで地獄からきた小鬼の集団のようでした。

しかし、子どもたちは外観のひどさに比べて意外に元気でした。

みんな人懐っこく、その日の内に仲良くなりました。

わたしはその病院に一ヶ月程入院していました。

子どもたちは病院の中を駆け回り、看護婦に怒鳴られながらも、騒ぎを止めませんでした。

そんなある日、明日の朝早く、機関士であるヨウコちゃんの父が汽車で病院の崖下を通るから、私にも見送れと一番腕白な少年が言いました。

ヨウコちゃんというのは、その病院で五歳ぐらいの一番幼い子で、母を原爆で亡くし、一人で入院していました。

翌朝早く子ども達に起こされ、病院の裏の原っぱに出ました。

寒風が肌を刺し、原っぱは霜でまっ白でした。

「うう、さむいよ―――」

「なかなかこないじゃないか、もう帰ろうよ」

「まってろよ。もうすぐじゃけん」

「あっ、きた!」

岬の先端に玩具のような汽車があらわれました。

「いまに汽笛ばならすぞ」

汽車は間もなく杉木立をぬけて黒い車体をあらわしました。

そして、するどい汽笛を寒さに張りつめた空気をひきさくように鳴らしました。

「ね、鳴らしただろ、うそじゃなかったろ」

あの汽笛は、病院に一人でいるおさないわが子に「がんばれよ」とよびかけている父親の声援でしょうか。

いとしいわが子をしっかりだきしめ、ほおずりしてやるような愛情とそんな境遇に追い込んだ原爆投下に対する憤りがつたわってきて、わたしは胸が熱くなりました。

そんな事があって、わたしと子どもたちの友情はますますかたくなったはずでした。

しかし、わたしが退院し、家に帰る日、子どもたちはどこかに遊びにいってしまって見送ってくれませんでした。

わたしはひどく落胆しましたが、あとになって考えると、あの子達はわたしに裏切られたような気がしたに違いない・・・そう思ったのです。

*****

このお話は、長崎源之助さんの実話です。

かつて長崎さんは、この海軍病院を訪ねた事がありました。

しかし、病院は新しくなり、孤児達の行方はわからないまま。

巻末に長崎さんはご自身の住所を載せています。

あの日さよならを言えなかった子どもたちが、もしかしたらまだ生きているかもしれない。

この絵本を読んで、手紙が来るかもしれないと考えたからだそうです。

2009年8月15日、太平洋戦争が終わった日に横浜で開かれた朗読会の会場で、長崎さん(当時85歳)は、前年に脳梗塞で倒れ、後遺症で出にくくなった声を振り絞るようにして訴えました。

「世界がぜんたい幸福にならない内は、個人の幸福はありえない」

これは、『農民芸術概論綱要』での宮澤賢治の言葉。



注意すべきは、「世界ぜんたいが・・・」ではなく、「世界がぜんたい・・・」です。

「世界がそもそも幸福にならない内は、・・・」と解釈するべきなのかな?

私個人は社会の中で生かされている、社会の中にこそ存在価値があるのだから、それを抜きにして自分だけの幸せはあり得ない・・・とでも解釈出来ましょうか?

実際にあの時代を体験した先人たちのお話は、なにものにも代え難い遺産です。

史実に目を背ける事無く、歴史から学ばなければ、私たちは再び過ちを犯すでしょう。

果たして自分達がかつて学んだ世界史や日本史は、正しいものだったのか?

歴史を語るとき、誰の目線で語られるかによって、その史実は大きく変わって伝えられる事になります。

それは新聞、雑誌、ニュース番組では特に顕著。

ただ、一般市民が体験した出来事は、悲惨さも怒りもそのままです。

それこそが事実。

戦争は、一般市民であるわたし達に何も良い事は無いと伝えてくれます。

ある程度の年齢に達したら、こういう絵本も読んであげて、戦争について話をするのも親の役割では無いでしょうか?

この絵本は、小松崎進先生ご推薦。

先日『ふるさと60』を先生と共に見て、終戦の時先生は20歳だったと伺いました。



「その頃は特攻に居てね・・・あの時戦争が終わっていなかったら、今生きてはいなかったでしょう」と。

最近読み返したいと思っているのがこれ↓



チョットしたブームみたいです。

かつては受験の為の参考書でしたが、今読み返すと色々と見えてくるものがありそうです。

今日、haneちゃんと行って来た国立西洋美術館のラファエロ展でも売っていました(^^;)

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by yomuyomuehon | 2013-05-21 22:45 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(1)


読んであげるなら 5歳位~

(本文の書き出しは、こんな感じ・・・)


♪ うさぎ追いし かの山

  こぶな釣りし かの川

  夢はいまもめぐりて

  わすれがたき ふるさと


  いかにいます 父母

  つつがなしや 友がき

  雨に風につけても

  思いいずる ふるさと


  こころざしを はたして

  いつの日にか 帰らん

  山は青き ふるさと

  水は清き ふるさと

  「ふるさと」高野辰之 作詞/岡野貞一 作曲


「おじいちゃん、また、その歌、うたってるの?」

「そう、おじいちゃんのいちばん好きな歌なんだよ」

「ふるさとってな~に?」

「ふるさとはねえ、自分の生まれそだったところっていう意味よ」

「ええ、そうなんだ。おばあちゃんのふるさとは?」

「おばあちゃんも、おじいちゃんも、同じふるさとで生まれたの。

 近くの川や山でいっしょに遊んでたのよ」

「おじいちゃんやおばあちゃんが、まだ子どもだったころ?」

「そうだよ。おじいちゃんが生まれて、まもなくして、おばあちゃんが生まれ、近所同士だったから、よく遊んだんだよ。

わたしたちが生まれる少しまえまでは、戦争の時代だった。

戦争が終わって、平和の光があふれるような時代がやってきたんだ」

「おじいちゃんとおばあちゃんは、その光を体いっぱい浴びながら大きくなったのよ」

「そのころのおはなしをしようか」


「して、して!」

(以下、あらすじです)

 * * * * *

<1946年頃>

戦争が終わって、お父さん達が戦場から戻ってきて、わたしたちが生まれたの。

日本中にたくさんの子どもが生まれて、希望がいっぱい、平和な時代がはじまりつつあったね。

今のようなおもちゃんは無かったけど、自分で遊び道具を作って工夫して、

あの頃の子どもはよく遊んだね。

男の子はめんこやベーゴマ。

女の子は影ふみやゴム跳び。

紙芝居やさんが来ると、五円玉握って飛んでいってた。



<1951年頃>

おじいちゃんの家はお醤油やさんで豊かだったから、ランドセルを背負って学生服も着てたわ。

でも、まだランドセルを買える家って少なかったんだよ。

少し町全体が豊かになって、車やオート三輪が走り、みんなの服装もきれいになってきていたね。

でも、わたしの家なんか、お母さんが畑仕事の後、たらいで洗濯していたのよ。

水道もなくて、井戸からポンプで水を汲み上げてたのよ。

その頃の子どもの遊びは・・・かくれんぼ、かごめかごめ、子ども相撲、あやとり、まりつき。

通りには、豆腐売りや金魚売りの姿があった。


1951年、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約に調印。

1953年、NHKのテレビ放送開始

1955年、原子力基本法が公布される

1956年、日ソ国交が回復。国際連合に加盟。水俣病患者の発生が確認される。

1960年、日米安全保障条約が改定。


<1966年頃>

東京オリンピック(1964年)の一年後、おじいちゃんとおばあちゃんは結婚。

新幹線が開通し、東京の街にはモダンなビルが増え、大都会になっていったんだよ。

あの頃、おじいちゃんは東京でサラリーマンになっていた。

でも、私は生まれた家から花嫁姿で、花婿さんの家までいく昔ながらのやり方で結婚したかったから、そうしたの。

結婚式をふるさとですることいによって、東京とふるさとが結ばれた気がしたよ。
この頃流行ったもの・・・ツイスト、鉄腕アトム、ダッコちゃん人形

1966年、総人口が一億人を突破。

1970年、日本万国博覧会が大阪で開かれる。

1972年、沖縄が日本に復帰。日本と中華人民共和国との国交が樹立。

1974年、コンビニエンスストア「セブンイレブン」が東京に開店。

1983年、東京ディズニーランドが開園。

1986年、男女雇用機会均等法が施行される。


<1996年頃>

バブル(1987年~1990年)ってことば、聞いたことがあるかしら?

日本中が景気がよくなって、新しいビルやお店がどんどん増え、みんながお金持ちの気分になってしまった。

ものが豊富になって、古いものはポンポンすてられる。

便利なものがよくて、時間や手間のかかるものはダメという風潮がひろがってしまったんだね。

でも、一方じゃ、これではダメだって、もとの自然をとりもどそうと、川をきれいに再生して、ホタルをはなしたり、昔のよさをとりもどそうという考えもでてきたんだから、バブルもさまざまな影響をもたらしてくれたんだね。

この頃、ポケベルが女子高校生の間で大流行。

その後携帯電話の小型化が進み、一気に携帯電話の時代へ。

ルーズソックスも、女子高校生の間で全国的に流行った。


1997年 地球温暖化防止京都会議で京都議定書を採択。

2005年、総人口の減少が始まる

2011年、東日本大震災。地震、津波、原発の事故による放射能汚染。

*****

私の母はこのおばあちゃんより少し年を取っていますが、戦後から今に至る60年少しの間に、日本は物凄い速さで変化してきた事がわかります。

それは、見開きで描かれた金さんの丁寧なイラストから、小さな子どもたちにもとても分かりやすいものです。

おじいちゃんとおばあちゃんの生まれたふるさとの、60年間の変化。

子どもたちは、まるで「ミッケ」を見るかのように、10年後の次のページではどこが変わったか我先に見つけようと必死(^^;)

「♪ふるさと」の歌詞の一番がぴったりの、豊かな緑に囲まれ、ふんどし一丁で魚捕りに興じれるきれいな川があった1946年頃。

川岸は石と土で出来ていて、橋は木製でした。


それが、1956年頃には橋が鉄とコンクリートで作られ、護岸工事が始まります。

1961年頃には、小川は暗渠となって川に注ぎ、岸はすっかりコンクリートで覆われ、川で遊ぶ子どもの姿は見られません。

1976年頃には、川は埋められ、姿は見えなくなりました。

しかし、1996年頃には川が復活。公園のようになっています。

そして更に「未来予想図」では、町の真ん中に大きく姿を現した川が、皆の憩いの場所となり、水着で泳ぐ子どもと大人の姿も見られます。

悪い方向へ進む一方ではないのかな?

私たちが失ってしまった大事なものに気付いた今、それを取り戻そうとする動きが、少しは見られるのかな?

金さんのイラストからは、そんな未来への明るい希望を持てる気がして来ます。

最後に松居直さんが仰っています。

「わたしたちの生きている今が、どのようにきずかれてきたのか、人々がどのような気持ちで苦楽をともにしてきたのか、大人と子どもがいっしょに思い描き深く味わうことが、今を生きてみずからの未来世界を切り開く力となるのです。

この絵本が文化の交流と、二十一世紀の世界の平和を実現する指針を与えてくれることを願っています。
(イラストを描かれた金さんは、韓国生まれで、18歳で来日され移住された方です)」

松居さんは最近講演でよく、「歴史をよく見よ!」と仰っていますね。

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by yomuyomuehon | 2013-05-14 16:11 | ほのぼの絵本 | Trackback | Comments(1)


読んであげるなら 6、7歳位~

(本文の書き出しは、こんな感じ・・・)

むかし、あるところに、ひとりの農夫がすんでいました。

農夫は、あかあかともえるまきストーブのように、

こころのあたたかいひとでした。

どうぶつたちをこよなくかわいがり、

ひよこや子ぶたや子牛がおおきくそだっていくのを見るのが、

何よりの楽しみでした。

さて、農夫には三人のむすこがいました。

三人は、たいそうはたらきもので、

一日じゅう、うたいながらはたらきました。


 * * * * *

(以下、あらすじです)

長男が御車の歌を歌いだすと、他の二人も一緒に歌いました。

次男は海の歌が好きで、

末っ子は旅のバイオリン弾きの歌がお気に入り。

ある春の事、農夫は畑に種を蒔きました。

ところが何週間も雨が降りません。

農夫の家の穀物は減り、動物達のエサ箱は空になり、

牝牛は乳を出さなくなり、めんどりは卵を産まなくなりました。

それどころか、親子の食べものも無くなってしまったのです。

農夫は、仕方なく鶏の群れを、そして牛を一頭ずつ、市場へ売りに行きました。

終いには、飢えを防ぐ為に農場も売り、生垣に囲まれたちっぽけな小屋に移り住みました。

やがて、待ちに待った雨が降りました。

しかし、農夫の元に動物も居なければ、耕す土地もありません。

親子は刃物を研ぐ仕事で、どうにか暮らしていきました。

ある晩農夫は息子たちに言いました。

「ほんとうは、おまえたちひとりひとりに、なにかのこしてやりたいと思っていたが、いまでは、わけてやる土地もない。

そこでだ、だいじなことをいっておくよ。

大きくなったら、よくよく考えて、仕事をえらぶんだ。

いいかい、おまえたちは、じぶんで生きていかねばならないのだからね


ある日のこと、ふと生垣の手入れを思い立った農夫。

生垣をじっと見つめると、それは牛の形に、雄鶏の姿に、羊の群れに見えてきたのです。

すぐさま見えた通りに刈り込む事にしました。

息子たちには、生垣からがちょうが、豚が、牛が、鶏が現れてくるように見えました。

農夫の口から、再び歌があふれ出てきました。

農夫は刈り込みながら動物達に優しく話しかけました。

こうして、刈り込みが農夫の何よりの楽しみとなったのです。

月日が流れ、長男が独立する時がやって来ました。

「世の中にでていくときが、やってきたようだね」

「だけど、とうさん、ぼくはどんな仕事をしたらいいでしょうか」


農夫は暫くすると、生垣を地面すれすれまで低く刈り込んでしまいました。

「毎日、しっかり見なさい。よく、かんさつすることだ。いけがきは、きっとおまえに答えをだしてくれるよ。

もちろん、おまえがじぶんで、かりこみをしなければならないがね


何週間も何週間も生垣を見つめて過ごした長男は、ある日生垣を目にした途端、・・・・・

*****

この物語の舞台はアメリカ開拓時代。

天候に左右される厳しい暮らしの中で、「夢を持つ事」がどんなに心の支えになった事でしょう。

父と子の関係に、最近観た「坂の上の雲」と重なるものがありました。

物質的に満ち足りた暮らしの中で、「夢を持つ事」は困難な時代になってきているのかもしれません。

人間にとって、本当の豊かさとは何でしょうか?

もう「物を持つこと」は時代遅れ!?

でも、「夢を持つ事」はダサい!?

夢を持てない時代なのかもしれませんね。

でも、夢を持てる子どもを育てるが親の役目ではないでしょうか?

姪は・・・このブログを読んでくれているらしい、自分でもブログをやっちゃってる姪中三は、

「普通が一番!頑張れ!とかそういうの・・・ウザ~イ!」

ガク↓って来ちゃう(^^;)

でも、普通って・・・結構難しいものよ。

それに、普通ってのは、一体何?

私が子どもの頃の普通と、今の普通は違う気もするし・・・

その内「頑張る!」とか「努力」って言葉も、死語になっちゃうのかな?


「坂の上の雲」中で、






秋山兄弟の父上が、

「食べさせてはやる。その先は自分で生きていけ!」みたいな事を言うのですが、

昔の人は偉かった!

ある程度になったら、一人立ちさせなきゃダメだなって、つくづく思います。

自分の事を考えても!

・・・うちの親は甘かったな(^^;)

親から離れて、更に親になって、親のありがたみを知る。

高校生の頃、司馬遼太郎の大ファンだった私ですが・・・何しろ気骨の無い高校生だったもので、何一つ学んではいなかった。

今になって、親になって、歴史から学ぶものってすご~く有るなあ・・・って思います。

パパが、好古(阿部ちゃん)や真之(モッくん)役が、出川や山崎邦正でも格好良いかどうか考えてみたけど・・・・

それでも格好良いと言うので笑いました(^^)

時代的に?出川辺りの方が近い顔立ちだったかもしれないんだけど・・・・

私は好古のような、オレに任せてついて来い!責任は取ってやる的な、器のでっかい男が好き。

息子をそんな風に育てるにはどうしたら良いものか?

「坂の上の雲」を見てからというもの、必死に考える日々です。


さて、ポール・フライシュマンの作品は、特に男の子に夢を与えます。


こちらはそうたが大好きなお話。

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by yomuyomuehon | 2013-05-09 23:38 | 愛のある絵本 | Trackback | Comments(2)