絵本のおかあさん ehonkasan.exblog.jp

子どもたちが通った幼稚園で、絵本の読み語りボランティアのお母さんは、『絵本のお母さん』と呼ばれています


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カテゴリ:戦争と平和を考える( 21 )

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明日3/10は、今から72年前の1945年に、東京大空襲があった日。

トンネルの森 1945

角野 栄子/KADOKAWA/メディアファクトリー

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小学5年生くらいから


この本は、作者の角野栄子さんが実際に体験した戦争体験・集団疎開・継母との暮しを元に、東京大空襲について書かれたものです。


(以下、あらすじです)

主人公の少女イコは、5歳の時にお母さんを亡くし、父方のおばあちゃんタカさんに預けられた。

イコが一年生の時にお父さんのセイゾウさんは再婚する。

ところが、夏休みが終わる頃、お父さんに召集令状が来た。

この時、新しいお母さん光子さんのお腹には赤ちゃんがいた。

その年の12月8日に太平洋戦争が始まった。

イコが4年生の時、すっかり痩せたお父さんが突然帰って来た。

病気になったのだ。

戦争が激しくなり、東京も危ないと言う事になって、軍事工場で働くお父さんを一人残し、イコは光子さんと生まれたばかりの弟と三人、江戸川と利根川が別れる辺りの小さな村に疎開した。

草がぼうぼうと生える中に建つわらぶきの一軒家に住むことになった。

外にあるぽっとん式のトイレも、畳のないむしろを敷いただけの部屋も、なかなか火の着かない薪を使うかまども、獰猛なノミも、全てがイヤだった。

そして、学校へは、森の中の木々に覆われたトンネルみたいな道を通って通わなければならない。

暗くて怖いこの道を。

クラスの男の子から、以前イコの家に、軍隊から逃げ出した兵隊が隠れていて、憲兵が探しに来たこと、まだ見つからないことを聞いて、益々この道が、森が怖くなった。

心を通わせる事が出来ない新しいお母さんとの暮しも辛かった。

戦況が悪くなるにつれ、食べものを分けてもらう事も難しくなった。

お腹が空く日々。

そんな中、東京大空襲が起きた。

光子さんはお父さんの安否を確認するため、東京に向かう。

幼い弟とイコの二人を残して・・・・

*****

トンネルを通る時、「イコがとおりまーす、イコがとおりまーす、イコがとおりますよー」とおまじないを口にするようになって、少し恐い気持ちが少なくなるような気がしたイコ。

郷に入れば郷に従えと言ったおばあちゃんに従い、ムリに田舎の子の言葉を話すイコ。

同じ疎開っ子のクラスメートと友達になり、東京弁で話す事が出来て、少し心が軽くなるイコ。

久し振りに休暇をもらって帰って来たお父さんに喜ぶイコ。

空襲でおばあちゃんが亡くなり、ショックを受けるイコ。

東京大空襲で、行方不明になったお父さんの安否を心配するイコ。


お父さんの居ない、慣れない田舎での暮らし。

戦争の恐ろしさ。

これが当時の10歳の少女の現実だったのかと思うと、やるせない。

脱走兵の存在も見え隠れするが、それは怖いものとして描かれておらず、不思議な体験として物語に微妙なエッセンスを加えている。

*****

昨日の朝日新聞の『声 オピニオン&フォーラム』の欄に、大学生から、「読書をしないといけないの?」という投稿がありました。

「読書をする理由として、教養をつけ、新しい価値観に触れるためというのはあり得るだろう。しかし、本を読まないのは良くないと言えるのだろうか。」とありました。

この方は、実に可愛そうな幼少期を送られたのだなと思いました。

本を読むのは教養の為だけでは無い事を、楽しいものである事を、お母さんや周りの大人から教えてもらえなかったのですね。

角野栄子さんは産経ニュースで以下のように仰っています。(2015.7.15)

死と隣り合わせの子供時代だったが「不安の中にも想像力はある。子供は『いいことはきっとある』と、ポジティブに考える力がある。いつの時代でもね」と角野さんは言う。

 想像力は生きるエネルギーの源泉になる。長年の執筆を支えたのは、物語は子供が持つその力を大きく育むことができるという思いだ。「物語には想像力をかき立てるものがいっぱいある。そこは広く、自由な世界です。入り込むことはできるけれど、主人公と自分は違うでしょ。そこで子供たちは自分を知り、『こう生きたい』と考えるんだと思うんです」


世界は、そして近場も、近ごろ何だかきな臭い。


戦争を知らなくても、こういうものを読む事によって、戦争というものがどれ程苦しいものであるか感じる事、知ることは出来ます。


この本を読んで、子ども達はどう生きたいと考えるでしょうか?


*****

さて、岩崎書店に問い合わせていた「はなのみち」

はなのみち (えほん・ハートランド)

岡 信子/岩崎書店

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の「くまさんが・・・」の「が」の使い方について、先程返答を頂きました。

私からの問い合わせした内容は・・・

「一年生の国語教科書に載っている『はなのみち』のテキストの件で質問があります。

昨日6年生への読み聞かせで、懐かしいでしょ?と三冊の本の間に、この絵本を取り入れました。

今朝、そのクラスにいた息子と3年生の息子にまた読んでみたところ(絵を見せずに)、「くまさんが、ともだちの りすさんに、ききにいきました。」と「くまさんが、ふくろを あけました。」の「が」は「は」じゃないのか?と聞いてきました。

私も確かに違和感があり、色々調べてみました。

動詞が後ろに来る場合の動詞文には「が」を使うということも分かりましたが、旧情報(くまさんがふくろをみつけました)に対し、新情報である次の文には「は」を使うという事も分かり、家にあるテキスト(特に昔話や瀬田貞二さん、石井桃子さん)を読んでも、そうなのではないかと思いました。

この件について、なぜ「は」ではなく「が」が使われているのか教えてください。」

 


これに対して、岩崎書店さんからは・・・

当時の編集担当者がすでに退職しておりますので、確認したわけではありませんが、この絵本は、絵本のつくりとして、見開きで場面を切り取ったような「紙芝居風の形」になっているためだと思います。

幼い子どもは、ページをめくって場面が変わると、その場面だけを見る傾向があるので、つながったお話よりも、見開き場面ごとの文にする方が、分かりやすい面があり、「くまさんが~しました」という文の繰り返しで構成しております。

声に出して読んだ際、少し韻を踏んだような効果も考えたのだと思います。

ただ、この絵本の文をひと連なりの文章として読む場合、ここの部分は、「くまさんが」ではなく「くまさんは」の方が良いのでは?という指摘は、確かに文法的には的確だと思います。

この微妙な格助詞の使い分けに気付いたお子さんを是非褒めてあげてください。

そして、絵本という表現方法の効果として、上記のような配慮から、あえてここでは「は」ではなく「が」を選んだらしい、ということをお伝えいただければ幸いです。



絵本で読んだ場合と、耳で聞いた場合では印象が違うのかあ。。。。。

これが国語の教科書では、見開きで文はひと連なりなのだから、絵本としてはよくても、国語のテキストとしてはどうなのかな?と疑問が残りました。

必死に覚えた一年生の時、そんな事は考えなかったもんね(^^;)

でも、うちの子達は、幼き頃より特に昔話を耳で聞いて育っていたみたい。



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by yomuyomuehon | 2017-03-09 10:37 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(0)
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返却期限が来て・・・あら~、返さなくちゃいけないのに・・・まだ読んでなかった(><)

むむむ、「ヒトラーのむすめ」

なぜ、この本借りたんだっけ?

まあ、これなら2時間もあれば・・・と読み始めて間もなく、

おお、読んどいて良かった!

と痛感させられたお話。


ヒットラーのむすめ (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

ジャッキー フレンチ/鈴木出版

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小学高学年以上向け


(以下、あらすじです)

オーストラリア。

雨が降り続いていたある日、スクールバスを待つ間に、アンナが始めたお話ゲーム。

いつもなら、誰かが登場人物を決めて、その後の話を他の子が作る。

でも、今回は違った。

アンナが始めたハイジのお話は、トレーシーにも、特にマークにとっては、バスが来るまでの楽しみとなり、アンナが語る続きを聞きたくてたまらないものとなった。


私も、マイク同様、アンナのお話の続きが聞きたくてたまらなくなった。


お話はこういうものだった。


ヒトラーにはハイジという娘が居た。

でも、その存在は隠され続けた。

なぜなら、ハイジの顔には大きな赤いあざがあり、足の長さが違うため片足を引きずって歩かなければならず、完璧な人種を繁栄させようとしていたヒトラーにとって、娘の存在は決して人に知られてはならぬ事だったからだ。

ハイジはヒトラーをデュフィと呼び、もちろん一緒に暮らしては居なかった。

でも、ハイジの世話をしてくれるゲルバー先生とムント夫人と暮らす大きな家に、デュフィは時々やって来る。

お土産を携えて。

ディフィが持って来てくれた、金髪で青い目の人形のように美しかったら「お父さん」と呼ばせてもらえるかもしれないと密かに泣くハイジ。

ハイジは外に出る事を許されない。

だから、外の世界の事を何も知らない。

デュフィ、つまりヒトラーが何をしているかも・・・

ハイジにとっては、口には出して「お父さん」と呼ぶ事は出来ないけれども、優しいたった一人の肉親なのである。

やがて戦況が変化し、ハイジは使用人の多い大きな家を出て、ゲルパー先生と新しい家に移る。

そこで、村の農家からお手伝いに来たライプさんに、外の世界の事や戦況について、少しづつ聞く事になる。

暫くしてここからも逃げなければならなくなり、二人はある地下室へ移るだが・・・



バスが来るまでのお話なので、途中でマークの日常が入る。

マークはこのお話を聞くようになって、大きな疑問を抱えるようになる。

「もし、自分の父さんが、ヒトラーと同じような事をしたら・・・ぼくはどうすべきなの?」

息子として何があっても父さんに協力すべきなのか?

「おまえは、自分が正しいと思うことをすべきだろうな。・・・だけど意見が違っても、話し合うことができたらいいよな。どんなに言い争っても、それでも、顔を合わせて家族でいたいと思うね」

「ぼくが、どんなひどいことをしたとしても、ぼくのことを好きでいられる?たとえば大量殺人とか」

「もちろんだよ、もしかすると違う愛し方でってことになるかもしれないけどな」


物語にのめり込むマークは、自分のお父さんがヒットラーだったら、現代にヒットラーが現れたらと想像し、自分はどうするべきかと、両親や先生に疑問を投げかける。

大人も大切な疑問に向き合う時間を持つのだが、忙しい時に滅入るような質問を、何度も問いかけられると、大人というのは我慢ならないのか・・・・

いい加減にしろ!となってしまうのだ。

そこがこの本のリアリティーのある所だけど。

アンナのお話のラストは、ひょっとしてハイジはアンナのおばあちゃん!?と思えなくもない思わせぶりな終わり方である。


これはフィクションだが、海外の子ども達は、こうして普通の会話に歴史認識などを盛り込めるのだろうか?

果たして私たちはどうか?

子どもとちゃんと話をしているか?

子どもに語れる大人になっているか?

明日の平和をさがす本 戦争と平和を考える絵本からYAまで300

宇野 和美,さくま ゆみこ,土居 安子,西山 利佳,野上 暁/岩崎書店

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by yomuyomuehon | 2017-01-24 06:20 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(0)
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これから戦場に向かいます

山本 美香/ポプラ社

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小学中学年以上向け


4年前の2012年8月20日、シリアのアレッポで取材中に銃弾に倒れたジャーナリスト、山本美香さんの写真絵本である。

TVで新聞で伝えられないものが世界にはたくさんある。

日本人の戦場ジャーナリストの方たちが居なかったら、私たちはきっと世界から取り残されてしまうのだろうと思う。

遠くの国で起きていることではない。

なぜなら多くの戦争の根本は、資源の取り合いにあり、私たちもその資源の多くを消費する国に住むのだから。

持つ国故の悲劇・・・しかし一般の市民には何の利も無い。

そして、いつの時代も、戦場で一番悲惨なのは弱い市民なのだ。


「信じられないほど激しかった戦闘がパタリとやみ、静寂があたりをつつむことがある。
そのすきをみのがさず、田畑を耕し、食事をつくり、
家族を養うたくましい人びとの姿がある。
どのような状況でも人間は生きていくのだ、と勇気をもらっている。
しかし、そんな彼らが一瞬にして命を落としてしまうのも戦争なのだ。」


どうしてそれを繰り返してしまうのか?

人間はなんて愚かなのだろうか?


「力でねじふせるやり方は、即効性があって、表面的には効果があるように見える。
しかし、人間のこころのにきざみこまれた憎しみは、何かのひょうしに爆発し、暴走するだろう」

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「今は、じっとだまって 成り行きを見ているイラクの人たちだが、彼らのうけた傷は、いつまでも消えることなく、くすぶりつづけるだろう。」

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女性ジャーナリストとして唯一とも言える最前線で取材をしていた山本さん。

「戦闘を取材したいのではない。戦争を取材したいのだ。」


と言っていたそうだ。


「私たちジャーナリストは死ぬために戦場を目指してはいない。誰かがそこへ行って目撃しなければならないし証拠を残していかなければならない。記録して外の世界に出さなければならない。だから私は戦場に向かう」(『中継されなかったバクダット』より)

この本は小学生でも読めるように作られたもの。

是非学校の図書室にも置いて欲しいと思う。


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by yomuyomuehon | 2016-12-29 08:26 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(0)
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昨日の続きです。

さて、戦時中も、そしてその前からも障害を持つ人々は居たわけです。

そして戦前は障害を持つ人たちを守る法律なんてありませんでした。

障害を持つ方は、どういう戦争体験をしてきたのでしょう?


その事について、教諭だった丘さんは、ここからは高校の歴史の授業みたいになりますが・・・とお話くださいました。

いよいよ本土決戦か!?という戦争末期、子ども達は、国策として次世代の戦力確保の為に集団学童疎開をさせられました。

しかし、戦力にならぬ、亡くなってもよいと考えられていた障害を持つ子ども達は、学童疎開の対象外でした。


1932年(昭和7年)東京市に全国で唯一の肢体不自由児学校として設立された光明学校。

松本校長先生が学童疎開を直接当局に掛け合うものの、相手にされる事はありませんでした。

疎開先を自ら探してくるならば、疎開してもよいということになり、校長は長野県上山田村の村長に熱心に掛け合い、やっとの事疎開先を確保する事が出来たのです。

しかし、戦争が終わっても、光明学校の子ども達が親元に戻って来たのは、健常な子達から遅れる事4年が経っての事でした。

信濃路はるか―光明養護学校の学童疎開

光明学校の学童疎開を記録する会/田研出版

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「戦争などの有事の際には障害者は真っ先に切り捨てられる」

世の中の空気が変わった時に真っ先に切り捨てられるのは障害者だ、平和じゃないと生きられないということを、先鋭的に肌身に感じているのが他ならぬ障害者たち自身だと、自身も視覚障害があり、日本障害者協議会の代表を務める藤井克徳さんは仰っています。


戦争中、障害のため、徴兵検査で不合格になり兵隊になって国のために戦えなかった障害者。「穀潰し」呼ばわりされることもあったそうです。


そうした負い目や軍国教育の影響もあり、国のために戦いたいと考えた障害者もいました。なんとか国の役に立ちたいと。


それが語られるこの本↓


太一さんの戦争

丘 修三/今人舎

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小学高学年以上向け


(以下、あらすじです)


子どもの時の病気がもとで、知恵が少し遅れていた太一さん。


勉強も運動も苦手。


村では「ばかの太一」と呼ばれていました。


しかし身体は丈夫で村一番の力持ち。


村の人たちは影でこう言っていました。


「太一の力はばか力 お国の為には なりゃしない」


そういわれてもニコニコしている太一さん。


しかしお母さんは悔しくて、悔しくて・・・いつか太一がお国の役に立つときがやってくる。


村の若者は兵隊になって次々と村を出て行きました。


旗を振って見送る村人たち。


若者達はひるむ心を隠して、誇らしげに戦場へ出掛けて行きました。


やがて村には太一さんを除いて男の若者は一人も居なくなってしまいました。


暫く経つと、一人二人と若者たちは骨になって帰って来ました。


戦死した若者の家の門口には、「英霊の家」と言う札が貼られました。


お母さんはそれを見ると、足を止め、深々と頭を下げて、戦争に行けない太一さんの事を思うと、ひどく肩身の狭い思いになるのでした。


ラジオや新聞はいつも「勝った勝った」というのですが、アメリカの飛行機が頻繁に姿を現すようになりました。


本当に勝っているのだろうか・・・


戦争が始まって4年目。


とうとう太一さんの所にも赤紙が届きました。


いよいよお国のために働くときが来たのです。


深々と頭を下げ、お礼をいうお母さん。


やっと他の青年達と同じになったとホッとしたのでした。


太一さんは横須賀の海兵団で厳しい訓練を受ける事になりました。


初日から失敗ばかりに太一さんに、上官は辛く当たります。


苦しい日々を歯を食いしばって頑張っていた太一さん。


しかし・・・・

 

 * * * * *

戦争中の障害者に対する差別・抑圧の歴史は、日本だけではありません。

ユダヤ人を大量虐殺したナチス政権下のドイツで、ドイツ人を含む20万人以上の障害者らが強制断種させられたり、「ガス室」に入れられ殺害されたりしました。

医学界は精神障害者らを殺害することは、優生思想から正しいことと考え、積極的に殺戮していました。

そして、これをナチスが利用したのです。

丘さんは、相模原やまゆり園事件の容疑者の考え方は、ナチスと同じであると仰っていました。

今健常である人も、いつかは障害者になる。

誰かに介助してもらわなければならない存在になる。

そこの想像力が欠如している。

昔は、この部屋で赤ちゃんが生まれ、この部屋で年寄りが亡くなるという現実に中に暮らしていた。

核家族の中では、死と生が隣り合わせであることを実感できない。


そこで丘さんは、幼稚園や老人ホームを同じ所に、人の居る所に作るべきだと提案されていました。

また、今別にある養護学校は普通学級で一緒に!が、互いの理解の深まる一番いい形だとも仰っていました。

偏見や差別や無知は、時間の共有によって無くなるはず。

書物を読むことで知るのではない。

見て聞いて、つきあう体験こそ大切だと。


丘さん修三さんは「子どもの本・九条の会」の発起人のお一人です。

今回この本も購入。

あたらしい憲法草案のはなし

自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合/太郎次郎社エディタス

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最初は笑えましたけど、読めば読むほど腹が立ってきます。

今人舎 「8.15朗読・収録プロジェクト」


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by yomuyomuehon | 2016-10-13 10:48 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(0)
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早くも一週間以上経ってしまいました。

1日(土)に聞きに行った、戦争体験の語りと丘修三さんの講演「障害者と戦争」

少し前に紹介した、

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)

丘 修三/偕成社

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は、丘さんが養護学校教諭時代に体験した事を元に作られた短編集で、「丘修三」としての処女作。

最近出ている障害者を扱った児童書を読むなら、こちらを手に取るべき良本です。

執筆にあたり、丘さんが影響を受けた本は、

地べたっこさま (理論社名作の愛蔵版)

さねとう あきら/理論社

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はせがわくんきらいや

長谷川 集平/復刊ドットコム

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じろはったん (ポプラ社文庫 (A172))

森 はな/ポプラ社

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おお、どれも画像がないですね(^^;)

ってことは、需要がない、読まれていないんですね。

「これらの作品は甘くなく、現実を丸ごと受け止めたうえでの、対象に対する愛情を感じました。シビアな目で現実を見ることとその表現法を学びました。」と、

丘さんはこちら↓の中で仰っています。

作家が語るわたしの児童文学15人

日本児童文学者協会(編集)/にっけん教育出版社

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今回の講演でも丘さんは仰っていましたが、上でも語られています。

「障害児教育にたずさわらなかったら、彼らに対して多くの偏見、差別観を持ち続けたであろうと思う。」

「自分は、高慢な理想を持って現場へ入った教師ではなかった。脳性まひの子ども達に初めて接した時、なんて汚い、臭い、醜い子ども達だと思った。触れることも恐かった。いやいやながらの毎日だったが、彼らと共に暮らしている内に気持ちが変化してきて、段々可愛くなってきた。共に歩む事、共にあること、つまり共存する事によって、思想や理念が作られていくということを、自分の身体を通して実感した。」

以下はこの講演では語られませんでしたが、丘さん同様、私も頭をガンと殴られたようなショックを受けました。

「横浜で脳性まひの青年が、将来を悲観した父親に絞殺された事件で、父親に同情した人達が減刑嘆願の運動を始めた。わたしもその場にいたらすぐにでもしたと思う。しかし、これに猛烈に反対したグループがあった。それは脳性まひの青年グループで、『減刑たんがんするというのは殺す側の理論だ。殺される側は全く無視されている』と言ったのだ。父親に対する同情ばかりで、殺された脳性まひの息子の事は、殆ど意識されていなかった。わたしは自分が殺す側にいる、たえず多数派に属してものごとを見ていたんだなあと思った。」




今回の講演のあと、この本↓を読みました。

ぼくのじんせい―シゲルの場合 (ジュニア文学館)

丘 修三/ポプラ社

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<あとがきより>
 私は長い間、養護学校の教師をしておりました。養護学校というのは心のはたらきやからだに障害を持った子どもたちが通っている学校です。
 二十数年の教師生活で、私が直接担当した子どもの数は、わずかに百二十名ほどでしかありません。クラスの人数が少ないことや、おなじクラスを何年も続けて受け持ったりしたから、意外と少ないのです
 ところが、なくなった子どもたちの数は、大変多いのです。
 短い人生を、障害という重い荷物をせおって、かけぬけるように天国へ旅立った子どもたち。ひとりひとりの笑顔が、いまでも私のまぶたに焼きついています。



進行性筋ジストロフィーの病を背負ったぼく。

お父さんは家族を置いて家を出て行った。

残ったお母さんは仕事に、そしてぼくの世話に疲れ、いつも機嫌が悪い。

そして、妹も何も出来ないぼくを馬鹿にしたような態度を取る。

ぼくの体調も、そして回りの状況もも悪くなるばかり。

ぼくは何にすがって生きていけばいいのだろう。

しげるが語るように心の叫びや日常を綴ったお話。


重度の障害を持つしげるの話ですが、親としてこの話を読むと、う~んうちの子達にも通じるものがあるなあと思ってしまう、子どもの気持ちについて考えさせられるお話。

このお話にもモデルがあり、その生徒はこの物語に近い状況の中で生き、そして病気の進行により20歳で亡くなりました。この作品は、その青年への鎮魂歌のつもりで書かれたそうです。

丘さんの障害をテーマにした本にはもう一冊

口で歩く (おはなしプレゼント)

丘 修三/小峰書店

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もあり、「ぼくのじんせい」が丘作品の集大成と言われています。

しかし、もう一つやらなくてはいけないと考えていらっしゃったのが、戦時下での障害児の暮らしでした。

それについては、また次回ご紹介します。


上は、12月15日(木)久喜市総合文化会館で上映されます。

丘さんも仰っていました。

同じ校舎で共に生活することが、お互いの理解に繋がると。

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6年生への読み聞かせ

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運動会が終わり、小学校は落ち着きを取り戻したかのような今日、二学期最初の朝の読み聞かせに行って来ました。

今回6年生に読んだのは、

さがしています (単行本絵本)

アーサー・ビナード/童心社

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ともだちのしるしだよ

カレン・リン・ウィリアムズ : カードラ・モハメッド/岩崎書店

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の二冊。

先日参加した読み聞かせ講演会で、ボランティアが子どもに読むべき本は楽しいものであるべきだと伺いました。

戦争を取り扱った本については、その1冊を読んだところで子どもに何が伝わるのでしょうか?それを読むあなたは戦争の事について話が出来ますか?・・・出来ないでしょう?と、厳しく指摘されてしまいました。

戦争の事、世界で起きていること・・・確かに私は全てを知らないし、知っているつもりの事でも、正しく説明が出来ないと思います。

だからと言って、戦争を扱った本を選ぶべきではないのか。。。。

夏だからと戦争の本を選ぶのはおかしい、だったら1年中、どこで読んでも良いじゃないの?とも・・・・それは確かに。。。。



朝なので、あまり暗い雰囲気にはしたくないというのは、ボランティアの中にある共通の思い。

私たちは何も考えずに、選んでいるわけではない。

上から目線で、子ども達に読んであげているわけでもない。

子ども達に伝えたい事があるからこそ、その一冊を選んでいます。

そして、それがこの二冊だったのです。


時間の関係で、「さがしています」の中からは3つを選びました。

14点あるなかで、3組の担当者それぞれが選んできた3つが全く同じ所だったのは驚きでした。


以前、この「さがしています」が出版されたばかりの頃、この本だいすきの会の例会で、私はこの本を紹介しました。

それを受けて、小松崎先生は年の暮れの集会の講演にアーサーさんを呼んでくださったのでした。

今回子ども達に読むために、この本を読み返してみて考えたのは、遺産が語る原爆の被害よりも、巻末でアーサーさんが仰っている「原爆」か「ピカドン」かという、解釈の違いについてでした。

人は立ち居地によって、解釈が異なります。

アーサーさんがアメリカで教わった原爆の正当性と、日本に来て、広島を訪れて知ったピカドン。

同じものなのに。。。。



5月、オバマ大統領が広島を訪れ、平和記念資料館に来館したことで、欧米からの来館者数はそれまでの倍になったそうです。

しかしながら、アジア諸国からの来館者数は増えていないとの事。

戦争を終わらせる為に原爆投下は正当だったと考えるアメリカ。

アジア諸国は自分たちが日本の被害者であると考えています。

日本は・・・

それぞれの立場により、原爆投下の意味は違うのです。

誰が悪いかではなくて、原爆は恐ろしい・・・本当に伝える事はその1点のはず。

平和祈念資料館が、政治利用される事なく、ただただ世界平和を願って広く世界の人々に知られる存在になる事を心から望みます。


世界には戦禍が絶えません。

自分の主張だけでなく、相手の立場に少しでも近づく事が出来たら、争そいは減るのでは無いか・・・そう考える私は、甘いのでしょうか?

ともだちのしるしだよ

カレン・リン・ウィリアムズ : カードラ・モハメッド/岩崎書店

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最近読んだ本↓

ダイヤモンドより平和がほしい―子ども兵士・ムリアの告白

後藤 健二/汐文社

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ルワンダの祈り―内戦を生きのびた家族の物語

後藤 健二/汐文社

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どちらも、小学高学年から。

かつての日本がそうであったように、今も世界の各地で、自分と同じくらいの子ども達が、とても辛い毎日を生きているという現実があります。

さて、見た目にとても大きくなった6年生は皆、どちらの本も真剣な眼差しで聞いてくれていました。


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シンドラーに救われた少年

レオン レイソン/河出書房新社

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小学高学年から読めるが、中学生くらいからが最適

平成28年度高等学校課題図書


小学校6年生の時に読んだ「アンネの日記」の記憶は忘れられない。

アンネの日記―完全版

アンネ・フランク/文藝春秋

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何の罪の無い同じ世代の女の子に襲い掛かった、理不尽極まりない悲劇に、長いこと暗いトンネルから抜け出せないでいた。

大人が読むよりも、子どもにはその悲惨さがもっと苦しく胸に突き刺さるに違いない。


そして、この

シンドラーに救われた少年

レオン レイソン/河出書房新社

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であるが、ホロコーストでの非人道的な残酷さや恐怖は、アンネの日記以上の、かなりのショックがある。

それでも、読まなくちゃいけないと思う。

これは事実なのだから。

学校でいくら、ユダヤ人が迫害を受けたと学んでも、どんな迫害を受けたのか、本当の話を聞かなくてはいけない。


さて、間もなく夏休みが終わるという時に、またしても少年たちのいたたまれない事件が起きた。

人を痛めつけるとはどういうことなのか?

ましてや殺してしまうまで・・・というのはどうしてなのか?

彼らは、想像力が乏しいとしか思えない。


私たちは、歴史から学ぶ事が多い。

学んで、考えて、より人間らしく生きる義務がある。

生き残りを掛けて戦うのは、動物だ。

思いやり、愛・・・それらが人間だけがもつ人間らしさではないだろうか。


オスカー・シンドラーによって救われた少年・・・作者のレオン・レイソンは、シンドラーを英雄と称えている。

英雄とは、「最悪の状況で、最善を為すすごく普通の人間」とレイソンは書いている。

ナチス党員だったシンドラーは、自分の命と財産を掛けて1000人以上のユダヤ人の命を救った。

ただ、ナチスによるホロコーストで犠牲となったユダヤ人は、少なくとも600万人以上とされている。

1000人以上と言っても、その何千倍もの人の命が奪われているのだから、レイソンの生存は奇跡としか言いようがない。

事実、レイソンはシンドラーのリストの一人であるが、そこにいたる過程は、幾つもの奇跡が重なったものだった。


果たして、戦後から75年以上を経た今、人間は人間らしくいきているだろうか?

世界各地に、まだ起こっているジェノサイド。

そして足元を見れば、少年殺害事件である。


教育によって、人間は人間らしくなるんだと思う。

それは机に向かったお勉強だけはなく、愛情を注ぐ人間教育も含まれるというか、そっちの方が大きい。

夏休み、ゲーム機を与えっぱなしにしてはいなかっただろうか?

子どもが日中をどう過ごしていたか、ある程度把握出来ていただろうか?

相手の痛みを知る、自分を大事に思う、親はそれを伝えていかなくてはならない。

経済的貧困が様々な問題を引き起こすと言われていて、昨今の日本でもこの問題は小さくない。

ただ、経済的に恵まれていても、心の貧困問題をも抱えている子も少なくはない。

お金では買えないものを与えるのも、親の役目ではないだろうか。

そして良本を薦めるのも、大人の役目だと思う。


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by yomuyomuehon | 2016-08-27 09:30 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(2)
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こんなにもストレートに、子どもの戦争に対する不安な気持ちを表現したものはないと思います。

それは、「モモちゃんとプー」の中の、「クレヨン ドドーン」 というお話。

モモちゃんとアカネちゃんの本(2)モモちゃんとプー (児童文学創作シリーズ)

松谷 みよ子/講談社

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読んであげるなら 6歳くらい~

(以下、あらすじです)

ある日、仲良しのコウちゃんと絵を描いて遊んでいたモモちゃん。

見たい漫画があると、TVのスイッチを入れたコウちゃん。

そこに映されたのは戦争、戦争、戦争。

どこのチャンネルに回しても、戦争、戦争、戦争。

怒り出したモモちゃんは、

「テレビちゃん、そんなにせんそうばかりしていると、ばかになっちゃうよ!ちっとはご本よんでべんきょうしないと!」

でも、TVは聞えないのか、やっぱり戦争ばかり映しています。

「ぼく、せんそうすき、かっこいいもん、ババーン、ドカーン。」

とコウちゃん。

「いやいや、せんそうはきらい」

「へっ、よわむしだな。それにあれ、うそっこだよ。」

すると、インコが言いました。

「テレビのせんそうはね、うそっこのもありますけどね、いまうつっているのは、ほんとのせんそうですよ。」

「せんそう、モモちゃんちにもくる?」

「かもしれません。」

「いや、うちへきたらいや。ねえ、そうしておとなたちはせんそうするの?せんそうなんかやめて、ご本よんだり、絵をかいたりすればいいのに。」

「わかった、クレヨンないのよ、きっと―――。だからせんそうするんだ。」

「がようしだってないんだ、きっと。」


ポケットにクレヨンを詰め、画用紙を握りしめたモモちゃんとコウちゃん。

「テレビ、せんそうのところにつれていきなさい!」

すると、二人は戦争しているところへ着きました。

「せんそう、やめえ!」と叫ぶモモちゃんとコウちゃん。

でも止めずに大砲を撃ち続ける兵隊さん。

すると、二人のすぐ傍に大砲の弾が落っこちて・・・・

「ようし、こうなったらぼく、やっちゃうぞ。」

コウちゃんは画用紙を丸め、弾の代わりに大砲に詰め込みました。

ドドーン。

画用紙の弾は空高く飛び上がり、まるでトランプの手品のように、空一面に広がって、ひらひら落ちてきました。

「こんどはわたしがやるの!」とモモちゃんは、大砲に飛びつき、クレヨンを詰め込みました。

すると、クレヨンは花火のように真っ青な空に模様を作ってパチパチ光りました。

それを見た兵隊さん達は・・・・


モモちゃんが目を覚ました時、辺りはもう暗く、コウちゃんはおうちへ帰っていました。

「ママ、せんそうどうした?おしまいになった?」

「えっ?せんそう?はやくおしまいになってくれればいいのだけど・・・」


涙をぽろぽろこぼすモモちゃん。

「ねえ、せんそう、どこまでくるの?えきまでくるの?かどの、おかしやさんまでくるの?おうちまでくるの?モモちゃん、こわいよ。」

「きませんよ、あのせんそうはとおいところなの。でももしそばままできたら、ママが、だめ!っておこるから、ね。」

「でも、どこかでしているんだよ、それなのに、だめ!ってママ、いわないの?はやくいわないと、みんなしんじゃうよう。」



*****

最後のお母さんとモモちゃんの会話を、親として大人として、どう感じますか?

子どもをこんな風に不安にさせる事を。

かつては子どもだった大人達。

きっと誰もがこういう気持ちを持っていたのではないかと思います。

教育によってそう思わない子ども達がいた時代もあったかもしれませんが・・・

でも、そんな時代であっても、子どもの、どう表現したらよいかわからない、不安な気持ちは存在したに違いない。


「ちいさいモモちゃん」

モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん (児童文学創作シリーズ)

松谷 みよ子/講談社

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から読み始めて、毎晩一つ二つをhaneちゃんにせがまれて読んでいます。

この話はモモちゃんが五つの時。

モモちゃんの誕生から始まったお話は、段々とhaneちゃんの実年齢に近づいてきました。

何も言わず、静かに聞いていたhaneちゃんです。

明日は、終戦記念日です。


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by yomuyomuehon | 2016-08-14 12:05 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(0)
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読みたい本がいっぱいあって、同時期に何冊も読んでいる。

気分や時間帯によって、あっちを読んだり、こっちを読んだり・・・・

何かを読み始めると
興味が広がり、ネットサーフィンならぬ、読書サーフィンとなってしまう。

読み聞かせに適した、「命の大切さ」を詠った詩を探し、久し振りにめくったポケット詩集。 


ポケット詩集

田中 和雄(編集)/童話屋

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そこで目にしたのが、

栗原貞子さんの、「生ましめんかな」――原子爆弾秘話―― である。

負傷者がひしめく被爆直後の真っ暗な壊れたビルの地下室で、被爆した若い女性が産気づき、かたわらでそれまでうめいていた重傷の産婆が「私が産ませましょう」と赤ん坊をとりあげ、自らは暁を待たず血まみれで死んでゆくのをうたった詩。

「生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨つとも」という最後の一節。

絶望的な状況にあって、使命を全うしようとする産婆の志の高さを、人間として尊敬するなんて、陳腐な言葉では言い尽くせない。。。


沖縄の地上戦の際、ガマ(防空壕)に逃げた人々は、一番奥に赤ん坊、その前に小さき子と年のいかない順に並び、一番手前に老人が火の盾になり、なんとか命を繋ごうとしたそうだ。

命こそ宝(ヌチドウタカラ)は、沖縄に限らず人間として、動物として本来持っている力なのかもしれない。

そして、戦争と平和をうたった詩集をさがして出合ったものに、

詞華集 生きていてほしいんです―戦争と平和

田中 和雄(編さん)/童話屋

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反戦詩集として谷川俊太郎さんと童話屋の田中さんとの共同編集によって出版されたのは、2009年の事。

その頃よりも、状況は悪くなっている。


谷川俊太郎さんの詩「誰が・・・・」に、

誰が造るのか?
冷たくなまぐさい銃を
子供を愛撫するその手で

という1節がある。

人を殺す、銃を操るその手は、かつて母の胎内より出でし、紅葉のようなちっちゃなおてて。

そして父となったその手は、おぎゃーと生まれし我が子を、満面の笑みで抱き上げた厚く大きな逞しい手。

なぜ、人はそんな残忍になれるのだろうか?


戦争について、世界各地起きている紛争やテロについて、子どもと話し合った事はありますか?

今読んでいる本
 

中東から世界が見える――イラク戦争から「アラブの春」へ (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)

酒井 啓子/岩波書店

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知らないと子どもと話せない、「知らない」ということは罪である。


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by yomuyomuehon | 2016-07-19 15:36 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(0)
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一日目の夜、ホテルのディナーをたらふく食べた為、2日目の朝はお腹が空かず(^^;)

朝食をランチに変えて、いざビーチへ!

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まだ8時前、一番乗りかと思いきや、先着あり。

ビーチショップで、パラソルとビーチチェア・ボディーボード・エアマット・お砂場セット・そしてバスタオルをレンタルして、まずはプールで一泳ぎ。

それから息子達とパパは、ホテルビーチ奥に浮かぶオーシャンパークにて、パワーゲーム。

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マウンテンによじ登り、反対側の急な斜面から海に飛び込んだりしたそうですが、私はhaneちゃんに付いてプールで遊んでいたし、なかなか写真を撮れず。

奥に見える船の辺りの赤いブイは、辺野古の立入禁止区域。

前日、海水のしょっぱさを味わったhaneちゃんは、専らビーチサイドプールです。

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オーシャンパークで小二時間遊び、砂遊びに興じる子ども達。

この前に、ボディーボードで私と息子達は海で泳ぎました。

パパはオーシャンパークで疲れ果て、ビーチチェアに横になっていて、写真を撮ってくれてなかった(^^;)


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sohtaが乗っているエアマットがよく水に浮き、海で漂っているとメチャ気持ち良い♪

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海はイヤ!とビーチで砂遊びのhaneちゃん。

ここの海は急に深くなっていて・・・水の色の違いが分かるでしょ?

青い所はもう足が付かない。

これは干潮時。

既に12時を回り、4時間ちょっと海とプールで遊んだのでお腹ぺっこぺこ。

ランチをホテルのイタリアンレストランで取って、プールもビーチも混んで来たので、美ら海水族館へお出掛けしま~す♪

カヌチャからは小1時間。

そんなに長く車に乗るのはイヤだ、ゴルフをやりたい!とsohta
.
ゴルフをするにはまだ陽差しが強すぎて、帰って来てからにしようよ!と説得。

(帰って来たのは既に6時半をまわっていたので無理でしたが・・・)


さて沖縄の家はコンクリートの四角い家が多いです。

昔ながらの赤瓦屋根の木造建築は、大通りを走っていたらまず見かけない。

で、こんなにものコンクリートをどこから?

と思っていたら、美ら海水族館へ向かう名護北部の海沿いの道沿いは、広大な採掘場。

この採掘場は、かなりなが~く続きます。

左側の海には、懐かしの伊江島が見えます。

ここの海のダイビングも面白かったなあ。

レアな魚が数多く見れました。


さあ、いよいよ美ら海水族館に到着♪

何と言ってもジンベイザメですね。

三匹もいました。

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魅力的な南の海のお魚ちゃん達がた~くさん。

毎晩、日本産魚類生態大図鑑を眺めていた私はどこへ?(^^;)

日本産魚類生態大図鑑

益田 一,小林 安雅/東海大学出版会

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全く魚の名前が浮かんでこない(><)

すっかり海から足を洗ってしまったな。。。。。。

そして、ここには大浦湾のアイドル、ジュゴンちゃんも居ます。

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奥に見えるのが伊江島です。

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美ら海水族館は、実に立派な建物です。

もう一度しっかり魚の勉強を!と図鑑を買い込んで来ました。

でも、子ども達が一番じっくりと見ていたのはお土産屋さん!?

ウミウシ (たくさんのふしぎ傑作集)

中野 理枝/福音館書店

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小学3年生以上向け

色鮮やかで、様々な形の巻貝の仲間、ウミウシ。

昔、海の中で色んなウミウシを見てきましたが、貝殻を背負ったものは見たことがありません。

もしかしたら、貝殻を背負っているウミウシが居る事を知らなかったので、目に入らなかったのかも!

しなやかにヒラヒラを海中を泳ぐもの、そう思っていたからでしょうか?


この本の裏表紙には、42種類ものウミウシの写真が載っていますが、そのどれもが鮮やかで美しい。

この美しさ・鮮やかさにはヒミツがありました。

ウミウシの餌はカイメンやホヤ。

これらには毒があるのですが、ウミウシにはその毒が利きません。

ウミウシはこの毒をも自分の体の中に蓄え、そして体色も餌と似た色になり、擬態化します。

が、餌がなくなると、この色は勿論かなり目立ってしまいます。

しかし、この色は自分には毒があることを周囲にアピールするように働くのだそうです。


では敵なし!?なのかと思いきや、意外な所に敵がいたのです。

それは、なんとウミウシなんですって!

キャー恐ろしいですね(><)


ウミウシってどんなもの?

そう思った方、海へお出掛け予定のある方は是非、読んでみてくださいね(^^)


てっぽうをもったキジムナー (童心社の絵本)

たじま ゆきひこ/童心社

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読んであげるなら、7歳位~

(書き出し)

これは、おきなわに すんでいる さちこという 女の子のはなしです。

「おおきな木には、キジムナーが すんでいるんだよ」

さっちゃんは、カリエスという びょうきで、あるけません。

まいにち、おばあさんのうばぐるまで 学校へかよっています。

日本は、アメリカ、イギリス、中国など アジアの国ぐにをあいてに、せんそうを はじめました。

校長先生は、子どもたちのまえで、

「てんおうへいかのために、せんそうをかちぬこう。日本は、神さまの国です。さいごに かちます。かならず かつ」

と さけぶのでした。

からだのふじゆうな さっちゃんも、うんとべんきょうをして、てんのうへいかの おやくにたとうと、おもうのでした。

男の子は、いつも せんそうごっこです。


(あらすじ)

戦争が激しくなると、勉強は無くなり、毎日竹やりでアメリカ兵をつく練習です。

お父さんも兵隊になって、戦争に出て行きました。

アメリカの飛行機がたくさんの爆弾を落とし、何もかもめちゃめちゃになってしまいました。

疎開する人も増えました。

しかし、体の弱いものは邪魔にされると、おばあさんとさちこは沖縄に残りました。

次第に戦争は激しくなり、おばあさんは爆弾に当り、粉々になってしまいました。

気が付くとさっちゃんはフヌギの木の下まで吹き飛ばされていました。

竹やりを持ち、赤ちゃんを背負ったままアメリカの戦車に突っ込んで行ったハナおばさん。

ひとりになったさっちゃんは、這って近くのほら穴に逃げ込みました。

穴の中の島民に兵隊は手榴弾を配り、自決をうながします。

あちこちで手榴弾が爆発。

でもさちこは生きていました。

それから何日も死体の間で隠れていたさちこ。

お腹も空き、喉も乾き・・・

でも怖くて洞穴から出る事は出来ません。

辺りが静かになってから、穴を出たさちこ。

黒焦げになった死体の上を這いずり回り、食べ物を探しました。

大きなガジュマルの木が立っていました。

大きな木にはキジムナーがいて島を守ってくる・・・おばあさんの言葉を思い出しました。

気を失ったさちこの口の中にやわらかいものが押し込まれ、目を開けると、目の前に居たのはキジムナーでした。

それから暫くキジムナーといたさちこ。

体の弱ったさちこの為に、食べ物を探しに、昼間、木からおりたキジムナー。

パンパンパン

鉄砲の音がして・・・・

*****

翁長沖縄県知事の言葉(毎日新聞より)

「沖縄が自ら基地を提供したことはない。普天間飛行場もそれ以外の基地も、戦争が終わって県民が収容所に入れられている間、『銃剣とブルドーザー』で強制接収されたものだ」

「県民に大変な苦しみを与えておいて、その危険性の除去のために『(代替の新しい基地も)沖縄が負担しろ』『お前たち、代替案を持っているのか』という話がされること自体が、政治の堕落ではないか」

支持率が下がったからと、取って付けたような政府対応、
米軍普天間飛行場の移設作業の1カ月間中断。

台風通過時期でもあって作業が進まないからか?

観光シーズンであり、更なる支持率低下が心配だからか?

国内でもちゃんと説明できない政府、外交交渉なんて無理か?

今の政治家たちじゃ、アメリカの傘に入る以外選択肢がないんだろうな。

どこが政治?政治家なんて・・・よく言えたもんだ。

沖縄に行って、目の前に辺野古が無かったら、これほど考える事は無かったかも。

目で見て、感じる事、大事ですね。


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by yomuyomuehon | 2015-08-07 23:36 | 戦争と平和を考える | Trackback | Comments(0)