明日(3/10)は東京大空襲があった日☆「トンネルの森1945」
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明日3/10は、今から72年前の1945年に、東京大空襲があった日。
小学5年生くらいから
この本は、作者の角野栄子さんが実際に体験した戦争体験・集団疎開・継母との暮しを元に、東京大空襲について書かれたものです。
(以下、あらすじです)
主人公の少女イコは、5歳の時にお母さんを亡くし、父方のおばあちゃんタカさんに預けられた。
イコが一年生の時にお父さんのセイゾウさんは再婚する。
ところが、夏休みが終わる頃、お父さんに召集令状が来た。
この時、新しいお母さん光子さんのお腹には赤ちゃんがいた。
その年の12月8日に太平洋戦争が始まった。
イコが4年生の時、すっかり痩せたお父さんが突然帰って来た。
病気になったのだ。
戦争が激しくなり、東京も危ないと言う事になって、軍事工場で働くお父さんを一人残し、イコは光子さんと生まれたばかりの弟と三人、江戸川と利根川が別れる辺りの小さな村に疎開した。
草がぼうぼうと生える中に建つわらぶきの一軒家に住むことになった。
外にあるぽっとん式のトイレも、畳のないむしろを敷いただけの部屋も、なかなか火の着かない薪を使うかまども、獰猛なノミも、全てがイヤだった。
そして、学校へは、森の中の木々に覆われたトンネルみたいな道を通って通わなければならない。
暗くて怖いこの道を。
クラスの男の子から、以前イコの家に、軍隊から逃げ出した兵隊が隠れていて、憲兵が探しに来たこと、まだ見つからないことを聞いて、益々この道が、森が怖くなった。
心を通わせる事が出来ない新しいお母さんとの暮しも辛かった。
戦況が悪くなるにつれ、食べものを分けてもらう事も難しくなった。
お腹が空く日々。
そんな中、東京大空襲が起きた。
光子さんはお父さんの安否を確認するため、東京に向かう。
幼い弟とイコの二人を残して・・・・
*****
トンネルを通る時、「イコがとおりまーす、イコがとおりまーす、イコがとおりますよー」とおまじないを口にするようになって、少し恐い気持ちが少なくなるような気がしたイコ。
郷に入れば郷に従えと言ったおばあちゃんに従い、ムリに田舎の子の言葉を話すイコ。
同じ疎開っ子のクラスメートと友達になり、東京弁で話す事が出来て、少し心が軽くなるイコ。
久し振りに休暇をもらって帰って来たお父さんに喜ぶイコ。
空襲でおばあちゃんが亡くなり、ショックを受けるイコ。
東京大空襲で、行方不明になったお父さんの安否を心配するイコ。
お父さんの居ない、慣れない田舎での暮らし。
戦争の恐ろしさ。
これが当時の10歳の少女の現実だったのかと思うと、やるせない。
脱走兵の存在も見え隠れするが、それは怖いものとして描かれておらず、不思議な体験として物語に微妙なエッセンスを加えている。
*****
昨日の朝日新聞の『声 オピニオン&フォーラム』の欄に、大学生から、「読書をしないといけないの?」という投稿がありました。
「読書をする理由として、教養をつけ、新しい価値観に触れるためというのはあり得るだろう。しかし、本を読まないのは良くないと言えるのだろうか。」とありました。
この方は、実に可愛そうな幼少期を送られたのだなと思いました。
本を読むのは教養の為だけでは無い事を、楽しいものである事を、お母さんや周りの大人から教えてもらえなかったのですね。
角野栄子さんは産経ニュースで以下のように仰っています。(2015.7.15)
死と隣り合わせの子供時代だったが「不安の中にも想像力はある。子供は『いいことはきっとある』と、ポジティブに考える力がある。いつの時代でもね」と角野さんは言う。
想像力は生きるエネルギーの源泉になる。長年の執筆を支えたのは、物語は子供が持つその力を大きく育むことができるという思いだ。「物語には想像力をかき立てるものがいっぱいある。そこは広く、自由な世界です。入り込むことはできるけれど、主人公と自分は違うでしょ。そこで子供たちは自分を知り、『こう生きたい』と考えるんだと思うんです」
世界は、そして近場も、近ごろ何だかきな臭い。
戦争を知らなくても、こういうものを読む事によって、戦争というものがどれ程苦しいものであるか感じる事、知ることは出来ます。
この本を読んで、子ども達はどう生きたいと考えるでしょうか?
さて、岩崎書店に問い合わせていた「はなのみち」
の「くまさんが・・・」の「が」の使い方について、先程返答を頂きました。
私からの問い合わせした内容は・・・
「一年生の国語教科書に載っている『はなのみち』のテキストの件で質問があります。
昨日6年生への読み聞かせで、懐かしいでしょ?と三冊の本の間に、この絵本を取り入れました。
今朝、そのクラスにいた息子と3年生の息子にまた読んでみたところ(絵を見せずに)、「くまさんが、ともだちの りすさんに、ききにいきました。」と「くまさんが、ふくろを あけました。」の「が」は「は」じゃないのか?と聞いてきました。
私も確かに違和感があり、色々調べてみました。
動詞が後ろに来る場合の動詞文には「が」を使うということも分かりましたが、旧情報(くまさんがふくろをみつけました)に対し、新情報である次の文には「は」を使うという事も分かり、家にあるテキスト(特に昔話や瀬田貞二さん、石井桃子さん)を読んでも、そうなのではないかと思いました。
この件について、なぜ「は」ではなく「が」が使われているのか教えてください。」
これに対して、岩崎書店さんからは・・・
当時の編集担当者がすでに退職しておりますので、確認したわけではありませんが、この絵本は、絵本のつくりとして、見開きで場面を切り取ったような「紙芝居風の形」になっているためだと思います。
幼い子どもは、ページをめくって場面が変わると、その場面だけを見る傾向があるので、つながったお話よりも、見開き場面ごとの文にする方が、分かりやすい面があり、「くまさんが~しました」という文の繰り返しで構成しております。
声に出して読んだ際、少し韻を踏んだような効果も考えたのだと思います。
ただ、この絵本の文をひと連なりの文章として読む場合、ここの部分は、「くまさんが」ではなく「くまさんは」の方が良いのでは?という指摘は、確かに文法的には的確だと思います。
この微妙な格助詞の使い分けに気付いたお子さんを是非褒めてあげてください。
そして、絵本という表現方法の効果として、上記のような配慮から、あえてここでは「は」ではなく「が」を選んだらしい、ということをお伝えいただければ幸いです。
絵本で読んだ場合と、耳で聞いた場合では印象が違うのかあ。。。。。
これが国語の教科書では、見開きで文はひと連なりなのだから、絵本としてはよくても、国語のテキストとしてはどうなのかな?と疑問が残りました。
必死に覚えた一年生の時、そんな事は考えなかったもんね(^^;)
でも、うちの子達は、幼き頃より特に昔話を耳で聞いて育っていたみたい。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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