歴史から考えること☆「ヒトラーのむすめ」
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返却期限が来て・・・あら~、返さなくちゃいけないのに・・・まだ読んでなかった(><)
むむむ、「ヒトラーのむすめ」
なぜ、この本借りたんだっけ?
まあ、これなら2時間もあれば・・・と読み始めて間もなく、
おお、読んどいて良かった!
と痛感させられたお話。
小学高学年以上向け
(以下、あらすじです)
オーストラリア。
雨が降り続いていたある日、スクールバスを待つ間に、アンナが始めたお話ゲーム。
いつもなら、誰かが登場人物を決めて、その後の話を他の子が作る。
でも、今回は違った。
アンナが始めたハイジのお話は、トレーシーにも、特にマークにとっては、バスが来るまでの楽しみとなり、アンナが語る続きを聞きたくてたまらないものとなった。
私も、マイク同様、アンナのお話の続きが聞きたくてたまらなくなった。
お話はこういうものだった。
ヒトラーにはハイジという娘が居た。
でも、その存在は隠され続けた。
なぜなら、ハイジの顔には大きな赤いあざがあり、足の長さが違うため片足を引きずって歩かなければならず、完璧な人種を繁栄させようとしていたヒトラーにとって、娘の存在は決して人に知られてはならぬ事だったからだ。
ハイジはヒトラーをデュフィと呼び、もちろん一緒に暮らしては居なかった。
でも、ハイジの世話をしてくれるゲルバー先生とムント夫人と暮らす大きな家に、デュフィは時々やって来る。
お土産を携えて。
ディフィが持って来てくれた、金髪で青い目の人形のように美しかったら「お父さん」と呼ばせてもらえるかもしれないと密かに泣くハイジ。
ハイジは外に出る事を許されない。
だから、外の世界の事を何も知らない。
デュフィ、つまりヒトラーが何をしているかも・・・
ハイジにとっては、口には出して「お父さん」と呼ぶ事は出来ないけれども、優しいたった一人の肉親なのである。
やがて戦況が変化し、ハイジは使用人の多い大きな家を出て、ゲルパー先生と新しい家に移る。
そこで、村の農家からお手伝いに来たライプさんに、外の世界の事や戦況について、少しづつ聞く事になる。
暫くしてここからも逃げなければならなくなり、二人はある地下室へ移るだが・・・
バスが来るまでのお話なので、途中でマークの日常が入る。
マークはこのお話を聞くようになって、大きな疑問を抱えるようになる。
「もし、自分の父さんが、ヒトラーと同じような事をしたら・・・ぼくはどうすべきなの?」
息子として何があっても父さんに協力すべきなのか?
「おまえは、自分が正しいと思うことをすべきだろうな。・・・だけど意見が違っても、話し合うことができたらいいよな。どんなに言い争っても、それでも、顔を合わせて家族でいたいと思うね」
「ぼくが、どんなひどいことをしたとしても、ぼくのことを好きでいられる?たとえば大量殺人とか」
「もちろんだよ、もしかすると違う愛し方でってことになるかもしれないけどな」
物語にのめり込むマークは、自分のお父さんがヒットラーだったら、現代にヒットラーが現れたらと想像し、自分はどうするべきかと、両親や先生に疑問を投げかける。
大人も大切な疑問に向き合う時間を持つのだが、忙しい時に滅入るような質問を、何度も問いかけられると、大人というのは我慢ならないのか・・・・
いい加減にしろ!となってしまうのだ。
そこがこの本のリアリティーのある所だけど。
アンナのお話のラストは、ひょっとしてハイジはアンナのおばあちゃん!?と思えなくもない思わせぶりな終わり方である。
これはフィクションだが、海外の子ども達は、こうして普通の会話に歴史認識などを盛り込めるのだろうか?
果たして私たちはどうか?
子どもとちゃんと話をしているか?
子どもに語れる大人になっているか?
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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