盆まねき
田舎の仏事は忙しいものです。
お盆にもお彼岸にも、互いの家を行ったり来たり・・・
家を空けるなんて出来ません。
私の実家の場合、その間に父の命日も入り、この時期は一番あの世にいる父を近くに感じる季節。
9月2日に49歳で急逝した父。
早くも20年が経ちました。
もうじき一緒に居た時間より、別れてからの方が長くなります。
そうたの度重なる嘔吐と高熱、そして激しい頭痛と腹痛。
それは父の命日辺り。
こめかみに梅干湿布を貼り、梅肉エキスを飲ませても、普段なら収まってしまうのが、改善されず。
痛む頭を摩りながら、連れて行かないでね!と何度も父に唱えたのでした。
しかし点滴を打った翌日の火曜日の夕方から、口数も増え、たいちと二人、漫才までやりだし・・・
その時つけた芸名が、そうたは「すぐなくぞう」で、たいちは「みそしるにはい」(^^)
すっかり食欲も戻り(そんなに食べるな!と制する程食べて・・・)、昨日から元気に登校しています。
昨日も今日も、夕方6時近くまで外遊び(^^;)
二学期が始まって早々の自家中毒に、そんなに学校が嫌なのか?とも思ったのですが、
「幼稚園も大好きだったし、小学校も大好き」なんだとか。
幼稚園では友達と思う存分遊べたし、小学校では勉強が面白いそうで・・・
では、なぜ?自家中毒に???
パパ曰く、「そんな事もあるさ!上手く対応しきれなかっただけだよ」
一方たいちは、7月からずーっと、「ようちえんにいきたくない、つまんない」と言っています。
朝は支度をしないし、プールの準備をわざとしていかないし・・・
かといって、水遊びが嫌いなわけではなく、クロールだって(クロール風ですけど・・・)、背面でバタ足だってしちゃって、私たち親を驚かせるほど!
ただ、狭い幼稚園のプールに、大勢で入りたくないだけらしいのですが・・・
何でも一人で!自分で!と主張するたいち。
今日は幼稚園で何して遊んだの?と聞くと、
「あついから、おれひとりで、ひかげですずんでた」
「ひとりであそんだ」
その2パターンが、最近の彼の答えです。
そんなに一人が好きなら、お笑い芸人に劇団一人ってのが居たから、たいちもそうするか?
「うん、それがいい!」と喜んで、早くも「みそしるにはい」から改名。
あまりにも嫌だ!やめたい!というたいちに、「何で?何が?」としつこく聞く私に、パパは、
「いいじゃないか。そんな時もあるさ。詰問するな。見守ってれば良いんだ。」
う~っ、むむむむ・・・
それもその通りなんですが・・・
ちなみにたいちは、亡くなった父に一番よく似ています。
* * * * *
自分で読むなら、小学中学年~
(本文の書き出しは、こんな感じ・・・)
七月も半分がすぎたころ、なっちゃんの家には毎年、笛吹山のおじいちゃんから一通の手紙がとどきます。
その手紙のことを、なっちゃんのパパとママは、「盆まねき」の手紙と、よんでいました。
「ほうら、なつみ。ホラふき山のおじいちゃんから、盆まねきの手紙がきたよ。」
「盆まねき」というのは、八月のお盆の三日間に、ごちそうを用意して親戚の人たちを家にまねいて、みんなでご先祖さまの供養をするという行事です。
「ホラふき山のおじいちゃん」というのは、ママのお父さんのことです。
* * * * *
(以下、あらすじです)
なっちゃんの家から遠く離れた、笛吹山のおじいちゃんの家。
会えるのは年に一回。それがこの盆まねき。
パパが命名した「ホラふき山のおじいちゃん」
何故かと言うと、おじいちゃんはとってもホラふきだからです。
三年生のなっちゃんだって分かるような、嘘っこの話を平気でするおじいちゃんなんです。
さて、8月12日、親戚が皆、このおじいちゃんの家に集まってきました。
従姉弟達にも会えて、毎日がお祭りのよう。
しかもそのお盆の三日間に、おじいちゃん達がとっても不思議な、それって本当!?と疑いたくなる話をしてくれて、
最後の日の盆踊りの夜、なっちゃんはその話は本当なのかも!と思えるような、不思議な体験をしたのでした。
* * * * *
なっちゃんにはヒデじいちゃんというおじいちゃんがいます。
ホラ吹きのおじいちゃんの事です。
そして、作者の富安陽子さんのお父さんの名は秀雄さん。
なっちゃんのヒデじいちゃんには、シュンスケさんというお兄さんがいました。
そして、富安さんのお父さんにも俊助さんというお兄さんがいました。
その、「本物の物語」と言うのが最後に載っています。
俊助おじさんは特攻隊員でした。(物語の方でもそうなっています)
終戦三ヶ月前に、アメリカ軍艦に突っ込んで死んでしまったのです。
富安さんは子供の頃にその話を聞かされて、満ち足りていたおばあちゃんの家に足りないものを感じるようになったのだとか。
それは俊助おじさんのいない気配でした。
戦後生まれの富安さんが、なぜ俊助おじさんにまつわる話を書こうと思ったのか?
それは、以下のような理由からだそうです。
「このごろ、『お盆』というのは、一度死んだ人を、心のなかで生きつづけさせるための行事なんだな、と思うようになりました。
大勢の親戚や家族がよりあつまって、お仏壇に手を合わせ、遠い日の思い出話に花を咲かせるとき、わすれかけていたなつかしい人の記憶が、みんなの胸のなかによみがえり、そのときたしかに、死んだ人びとの魂は、この世で暮らす人びとのまえに忽然とたちあらわれるのです。
戦争の記憶をとどめる人が、たとえ一人もいなくなってしまっても、わたしはわすれないでおこうと思います。
物語なんかではなく、この国はたしかに戦争をしたんだということを。
作り話なんかではなく、俊助おじさんは、その戦争で命を落としたんだということを。おじさんのほかにも、かぞえきれないほどの人たちが戦争で死んでいったんだということを。
戦争で死んだ人たちが、もう一度死んでしまわないように、ずっとおぼえておこうと思います」
* * * * *
盆踊りの夜、ママや従姉妹たちから逸れてしまったなっちゃんは、なっちゃんを呼ぶ声に誘われて、本堂の裏にやって来ました。
そこで不思議な男の子に出会いました。
十五夜の満月に続く石段を登る多くの人影を目撃して驚くなっちゃんに、男の子は言いました。
「みんな、もう、あの世にかえるんだ。きょうはお盆の十五日だからね」
怖がるなっちゃんに、男の子は、
「こわいことなんて、ないんだ。みんな、いつかは、あっち側にいかなくちゃいけないんだからね。
この人たちは、ただ、ちょっとなっちゃんより早く、あっちへいった人たちで、盆まねきにまねかれて、こっちにあそびにきてただけなんだよ。
盆がもうおわるから、あの世へかえるんだ。あそこをとおって、月がしずむころには。
ずっと西のほうへかえっていくんだよ」
「あなたも幽霊なの?」
「人間は、二回死ぬって、知ってる?一回目は、心臓がとまったとき。二回目は、みんなにわすれられたとき・・・・・。」と言います。
男の子は、お盆に自分を思い出して、こっちに招いてくれる人がいるからまだ一回しか死んでいません。
「わすれられちゃったら、どうなるの?」
「みんなが、ぼくの顔も思いだせなくなって、いつか、ぼくの名前もわすれてしまったら、ぼくの顔はぼやけて、体の輪郭もうすれて、ぼくはすこしずつ消えていくんだ。
それで、すっかり、ぼくが消えちゃったら、ぼくは、もうぼくじゃなくて、なっちゃんのご先祖さまになるんだよ。
ぼくよりまえにわすれられてしまった人たちとまざりあって、とけあって、ひとつのキラキラした大きなかたまりになるんだ。
それも、わるくないよね」
そして、どこかで見覚えのある顔だと思ったこの子が、シュンスケおじさんだという事を思い出したなっちゃん。
男の子は、「思い出してくれて、ありがとう。」と月の穴の中に飛び込んで行ったのでした。
* * * * *
私の父を、写真でしか知らない三人の子供たち。
いつしか私もあの世へ旅立った後、我が子達は父を思い出してくれるでしょうか?
それとも、父はご先祖様たちとキラキラした大きな塊になってしまうのでしょうか?
今は母が一人で住んでいる、大きな仏壇のある家。
お盆には、仏壇の中から位牌を出して、お盆用の飾りつけをします。
そして13日には、すぐ裏のお寺に、ご先祖さまたちを迎えに行きます。
この先、この家に誰も住まなくなったら、父がお盆に帰ってくる家がないのか・・・
そう思うと複雑です。
ところで、富安陽子さんの絵本「やまんばあかちゃん」→ ☆ を最近読んだばかりだったので、大分違う作風にとても驚きました。
* * * * *
余談ですが、
リンネルHOMEvol.4にて、雑誌デビューをしました。
綿密に言うと、実はフルネームでの登場は2度目。
一度目は、某バンカラ大学海洋研究部時代。
忘れもしない地獄の式根島合宿で、numberに載ったのでした。
雑誌デビューと言っても、このブログが!と言うわけではありません。
shureであった梅干をつくる会に参加した時の事です。
babyちゃんとばっちり映ってます(^^;)
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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