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絵本のおかあさん ehonkasan.exblog.jp

子どもたちが通った幼稚園で、絵本の読み語りボランティアのお母さんは、『絵本のお母さん』と呼ばれています


by yomuyomuehon
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2月に亡くなった主人の、後を追うかのように亡くなった義母の命日から、間もなく50日を迎える曇天の今日、納骨を行いました。

昨日までの暑さが嘘のような陽気は、この時期納骨を行う私達を気遣って下さったのかしら?と思えなくもない涼しさ。

それにしても、僅かな期間に血を分けた家族を二人も亡くした義妹のショックは計りしれません。

医師として、どちらの最後にも立ち会えた事は良かったかもしれませんが、やはりキツイでしょう。

夜中に起こされたり、急遽呼び出されたりの介護も無くなり、楽になったとはいえ、突然一人になってしまうと、さてどうしたらいいものか…

今はまだ実感が無いかもしれませんが、そんな時がやがて訪れることでしょう。

主人の最期の前から、医師である彼女を頼りにしていた私と義妹の関係はすごく近くなりました。

友達にも言えないことも、伝えられたりしました。

一人になってしまった彼女を支えられるのは、私であり、子どもたちであり…というか、子どもたちが彼女と私を繋いでくれています。

互いに年を取り、今日も墓地の急な石段を見上げ、あとは何年登れるだろうねと苦笑。

タイミングよく昨日に夕刊に見つけた記事↓

こんな関係になれたらいいな_e0160269_21421664.jpg

こんな風に色々言い合える仲になれたら、主人も喜ぶだろうなと思い、早速図書館に予約を入れたのでした。

それにしてもお二人共美人です。

ああ、いい歳の取り方をしたいと思う、既に52歳の私です。

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# by yomuyomuehon | 2021-08-12 21:25 | 大人向け

廃校の一室にある、こじんまりした図書館。

そこで一人コーヒーを飲みながら雑誌をめくるのが好きだ。

もう少し雑誌の種類があったら良いのに・・・と思うのだけれど、そうなれば人も多くなるだろうし、この小ささが気に入っているので仕方ない。

昨日は暮らしの手帖をめくり、荻上チキさんの『みらいめがね』で思い出した事があった。

小さな田舎の学校で、私の学年は一年生からずっと一クラスだったので、脳裏に浮かぶ面々で学年は定かでないが、その時に否定もせず、ただ、「へえ」「そうかあ」なんて相づち打ちながらそばに居る先生が5,6年を担任した宮崎先生である。

だからおそらく5年生の時だったのではないか・・・

当時、口さけ女なる奇怪な化け物?当時私は化け物と思わず、実在する怖いやつって認識だったと思うのだが、兎にも角にも巷の話題をさらっていた都市伝説があった。

今と違ってネットなんてものは無いのだから、全国に口コミで広がっていった事がすごいわけで、それだけみんなパニックになっていたのである。

何しろ、「わたしきれい?」と振り返った女は、耳元まで裂けた真っ赤な口と、手には鎌を持つ。

「きれい」と答えても「きれいじゃない」と答えても、同様に鎌で口を裂けされると言う。

その口裂け女の話を、先生を囲み、超密な状態で、興奮しまくってクラス全員がしていた時に、「せんせい、せんせい、昨日ね、うちのお父さんがね、仕事の帰りにね、あったんだよ」と和也君が言った。

うちの娘でもあれば、「ママ、聞いて。今日ね、○○が・・・・って言ってたんだよ。ほんと、ばっかみたい」と一蹴されてしまうような事なのだが、みんな「すげー!」とか「えーっ、こわーい」とか言って認めていたし、「お父さん、大丈夫だった?」と心配さえしていたのである。

まさか大人まで信じていたわけではないだろうと思うのだが、先生は否定しなかったし、笑い飛ばしもしなかった。

そして和也君のおとうさんはといえば、教員だったのである。

その話を思い出したのは、荻上チキの体験談を読んでのこと。

小学生の時、郵便配達の格好をした人が、「おじさんはヤギの郵便屋さんなんだよ。お腹が空いたから、今から葉書を食べちゃうよ」と言って、自転車にくくりつけたボテ箱から葉書を次々取り出してむしゃむしゃと食べ始めた。最初呆気にとられて眺めていた子どもたちは、「すっげー、すっげー」と歓声をあげ、荻上さんも、飲み込むなんてヤギにしか出来ないし、葉書が食べ放題の郵便配達員は、ヤギにとって転職だろうなと思ったそうだ。

嘘みたいな話なんだけど・・・

うそ

谷川俊太郎

  うそ

 ぼくはきっとうそをつくだろう
 おかあさんはうそをつくなというけど
 おかあさんもうそをついたことがあって
 うそはくるしいとしっているから
 そういうんだとおもう
 いっていることはうそでも
 うそをつくきもちはほんとうなんだ
 うそでしかいえないほんとのことがある
 いぬだってもしくちがきけたら
 うそをつくんじゃないかしら
 うそをついてもうそがばれても
 ぼくはあやまらない
 あやまってすむようなうそはつかない
 だれもしらなくてもじぶんはしっているから
 ぼくはうそといっしょにいきていく
 どうしてもうそがつけなくなるまで
 いつもほんとにあこがれながら
 ぼくはなんどもなんどもうそをつくだろう

「いっていることはうそでも うそをつくきもちはほうとうなんだ」・・・確かに

つい注目を浴びたくて、出てしまった和也君のうそ。

否定しなかった先生。

理不尽なことで切れていた先生でもあった。

三日間授業しないで、私たちに校庭の草むしりを強いたこともあった。

その理由はかなり無茶だった。今の私なら黙っちゃいない。

しかし当時は大人が怖かった。

そんな先生でも、子どものアホな話を聞いてくれていた事に、今更ながら驚く。

さて、そこから40年以上経った私は、子どものうそを真っ向否定してないだろうか。

嘘でも本当でも、まずは一度だまされてあげなくちゃねと思った日曜日の図書館。



# by yomuyomuehon | 2021-08-09 14:42 | 詩集

漢字の感じ『種』

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『種』という字は、禾(のぎへん)に重

のぎへんは、穂先が垂れかかる稲の形で、その重い部分という事で、『種』たね。

この旁の部分が強烈で、

上から、

入れ墨をするための針、人の目、重い袋を表す象形・・・つまり目の上に入れ墨をされた奴隷が重い袋をもたされている形!?=重い

重いっていう字は、本当に重い字だった(><)

私がイメージする種という言葉からほど遠い印象。


昨日突として長女が言い出したことは、

「あっ、みどりのラムネを埋めるの忘れたっ!」

「はっ?」

「だから!枝豆植えるときに一緒に埋めるのを忘れちゃったの!あ~あ、そうしてたら、水やりもしないでほったらかしにしたのになあ」

「あんたはまーちゃんかいっ!」



みどりいろのたね

昨日今日と、小学校の除草作業と花壇の手入れのお手伝いに行って来た。

子ども達が通う小学校は、地域サポーターの方々の様々な支援を受けている。

その一つが「つるしろ会」で、校内の樹木の剪定作業に除草作業、様々な木工事をしてくださっている。

昨日はその方々が除草作業をしてくださるというので、PTA本部の会長とKさんと三人、お手伝いに参じた。

私とKさんは、花壇の手入れに昇降口付近の除草作業を。

間もなく再開されるであろう小学校が、枯れた花や伸びた草だらけでは、子ども達の気持ちも晴れぬであろう。

いつもの年ならば、間もなく花壇に新しい花が植えられ、子ども達の登校を迎えるはずなのだが、長い休校措置により、花壇の手入れをしてくれるはずの委員会さんも係さんも今だ決まらず。

花壇に花がないのはさみしいが、思い切って全部抜いてしまった。

20人くらいでやっているところをたった二人でやったのだから(それ以上に他の除草もしたし)、動いている間は良いが、帰ってからは、もう動きたくない動けない。

その除草作業中に突如いらっしゃったTさん。

学校のビオトープや畑、グリーンカーテンを管理してくださっている、小学校に無くてはならぬお方である。

Tさんとは、野鳥観察会で出会ってから、かれこれ10年来のおつきあいである。

野鳥観察会 *他にも野鳥観察会の記事あります。「野鳥観察」で検索してみてね。

私も年を取ったけど、Tさんはすっかりおじいちゃまになってしまわれて・・・(^^;)

そのTさんが、

「花壇の花を抜いちゃうなら、明日、耕耘してあげるからね。今日抜いた後に培養土撒いといて」と仰る。

更に、

「明日チューリップの球根も抜くから。私は9時に来るからね。わかった?」と。

と言うわけで参らぬわけにはいかぬ。二日連続登校になったのである。

しかし、今日は涼しく作業日和り。

フィジカル・デスタンスを取りながら、手と口を動かす私とKさんに、

「ご婦人方はすごいね。口を動かしながらも手が動かせるんだから」と仰るTさん。

男の人はそれが出来ないのだと仰る。

女は喋れないと死ぬ。


手を動かしながら口も動かし、今後のPTA活動について話し合った。

今年は既に委員会の数を減らし、係も決めず、ボランティアを募る予定でいる。

が、果たしてボランティアにして成り立つのか?

運動会が開催されたとしての準備作業、片付けはどうにかなりそうだが・・・その他、除草にトイレ清掃。

本来はボランティアで成り立たせたいものである。

パラビにて「義母と娘のブルース」見ながら、つくづく考えた。

皆、押しつけられることについては反発するが、主体的に参加する意義が見出せれば良い。

その意義とやらは何なのだろう・・・


さて「種」と言って浮かぶ大好きなお話。

ルピナスさん


木を植えた男


種をまく人


ピーナッツなんきんまめらっかせい


そらいろのたね


絵本 グレイ・ラビットのおはなし

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# by yomuyomuehon | 2020-05-18 16:56

漢字の感じ『味』

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『味』という字は、口偏に『未だ』と書く。

なぜに『未だ』?

『未』とは、枝が茂っている木の形らしい。

『味』とは、木の枝の新芽のようなところが美味しいので、うまい味わいのことを言うのだそうだ。


と言うことは・・・まずい味とは言わない?



主人は入院してすぐ誤嚥の恐れあり、と口から物を食べる事が出来なくなった。

当初は見舞いに行くたびに、あれが食べたいこれが食べたいと言っていて、それを聞くのも切ないのだが、

真っ先に食べたいと言ったのは、

なんと

ケーキ。

それもホールで食べたいと言う。

結婚式は恵比寿のQEDクラブだったのだが、そこのケーキを食べたいのだという。

確かに絶品で、食べられなかったでしょうと、式の後ワンホールを頂き、二次会三次会と飲みに飲んだ後、ウェスティンホテルで二人ワンホール食べちゃったという代物。

その後、記念日に食事に行っても食べる事は出来なかった、結婚式オンリーもの。

でも、何も食べられない、もしかしたらもう何も食べられない人が、「ああ食べたい!」と真っ先に思う物がケーキとは・・・

子ども達はそれを聞いて、パパらしいと納得するのであった。


年を開けた頃から、私が見舞いに行く日に調子が良ければ、気分転換に散歩に出掛けるようになったのだが、その時決まって私にお昼を食べろと言う。

食べる事が大好きで、でも食べられない人の前で食べるのは、本当に苦痛である。

どんなにお腹が空いていても、全く美味しいとは思えない。

大学の学食も、移動式の店舗にも美味しい店はないのも事実だが…

自分は平気だし、人が食べるのをみたいと言う。

何かのフェチ?

じっと見ていられても・・・・本当に美味しくないのである。

仕方が無いから食べるのだが、「食べる」という行為にはシチュエーションとか誰と食べるとか、そういうエッセンスが味を変えることをつくづく感じる出来事であった。

やがて、食べたいものがケーキから蕎麦に変わった。

その頃、受験生の長男を置いて、下の二人を連れて見舞いに行くこともあったのだが、そこでも食べろと言うものだがら、

特に神経質な次男は早く帰ろうと言うのであった。


もう口から食べる事は出来ないのではないかと思っていたのだが、

なんてタフな人なのだろうか?

リハビリを経て、口から食する事が出来るようになって退院したのである。

今、時間は掛るが、家族と同じ食事をしている。

そして相変わらず甘い物好きである。


私はもう食べる事が出来ない・・・となった時、何を食べたいと思うのだろうか?


実家に行くと登場する母のお握り。

何てことはない普通の鮭握り、または塩握り。

それもあじ塩だったりすることもあるのだが、なぜか旨い。

本当に適当に作っている感じがするのだが、なぜか旨い。

私が良い塩使って良い海苔使って作っても適わないのだから、不思議である。

きっと最後はこのお握りを食べたいと思うのだと思う。

が、私の最後の時に母が居るかどうか・・・というか、そうなってはいけない。


果たして我が子達もそんな風に私の作る何かを食べたいと思ってくれるだろうか?


味と言って思い出すのは、





なぜかって?

やっぱり米はうまいって事をしっかり伝えているところ。

こちら↓も同じ理由で





やっぱり米はえらい!

そしてまだまだ美味しい絵本あり!




この絵本に登場するカステラを、長男とは何度食べた事か。





この絵本に登場するチョコレートのあまい味を想像して、子ども達を寝かしつけた後、何個のチョコレートを食べて後悔したことか?





ゼラルダの舌と腕には、私も惚れます。




子どもが、見開きでパンが並ぶページのパンを食べ終えるまで待つ間、何度寝落ちした事か?

最初から一つも漏らさず、ぜ~んぶ食べるんだもの。



この本のチョコレートケーキやアイスクリームを、子ども達に分けてもらって何度食べた事か?

でも、同時に食べ過ぎはいけないと言う事も、教えてくれた絵本である。

そうそう、過食は万病の元。

こういう時期こそ、粗食を心がけないとである。


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# by yomuyomuehon | 2020-05-11 19:15

漢字の感じ 「飽く」

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「あきたーっ!」

もれなくどこのご家庭でも、この頃よく聞かれる言葉の一つではないだろうか?

「飽く」という漢字は、『食偏に包』からなる会意兼形声文字で、『食べ物をたべてお腹いっぱい』という意。

と言うことは、もう十分だから飽きたとなるべきである。


この春ほぼ毎日冷蔵庫にあって、はて何度茹でたかしれないタケノコ。


漢字の感じ 「飽く」_e0160269_17414843.jpg


「飽きた」は、私にとってこのタケノコを思い起こさせる言葉なのである。

いくらたくさん食べたからと言って、私がタケノコに飽きたという話ではない。

『あきた』は、この絵本に出てくるタケノコの心の叫びなのである。ん?心の叫びは大げさかもしれぬ。

まあ、突然の心変わりってくらいところか。







たけのこは伐られちゃかなわんと思ったのか、はたまた自分の力を試そうと思ったのか、ただただ大きくなりたかっただけなのか、それとも高い所からよその世界を見てみたかったのか・・・

兎に角、伸びることに飽きるまで、ひたすら真っ直ぐ大きくなるのである。

しかし突然「あきた」と来るものだから、

「えっ!?あきたの?」とこちらは拍子抜けしてしまう。

しかし私はこの「のびるのにあきた」と言うところが好きなのである。


さて、この春長男は高校生に、次男は中学生になった。

次男は中学でも水泳を続けると言っていた。

卒業文集にも将来は水泳選手になってオリンピックに出たいと書いていたし、

『10年後の私』という題の図工の塑像でも、泳いでいる自分を作っていた。

タイムも急激に速くなって、リレーも楽しみだし、夏の全国大会には個人で出場出来そうだと、本人も思っていたようだし、私も期待していたのだが、

卒業式の日の夜の水泳練習の後、車に乗り込むなり

「おれ、今月で水泳やめるから。」

「はっ!?」

「だから、中学では部活やるから。それにもう水泳は飽きた」

オロオロするのは私で、本人は至って涼しい顔。

入院中の父親に伝えると、「もったいない。今まであんなに頑張ってきて・・・良い感じになっているのに・・・よ~く考えろ」と。

2日ほど経ってから、父不在の食卓で兄と妹と私とで、本人の心の内を聞いた。

彼は泣きながら今までの苦しみを吐きだしたのである。

二年前、全国大会のリレーの決勝でメンバーを外された。

小学5年生が背負い込むには重すぎる枷であった。

練習への取り組み方は、周りから見ても以前とは大分違っていたらしい。

それはタイムにも表われた。

しかし、あの時から仲間とは距離を置くようになり、とても楽しそうとは思えない顔つきになっていった。

そして二年前の屈辱を晴らしてやるばかりに意気込んでいたこの春のジュニアオリンピックだったのだが、コロナ禍で中止となり、彼の中の何かがポキンっと折れてしまったのである。


仲間と距離間があるのを感じて、中学では部活を!と進めていた私ではあったが、まさか本当に辞めると言うなんて・・・

矛盾しているが、いざそうなると相当さみしい。


一通り泣きながら話した後、彼は医師になりたいと言い出した。

父親の病気のことも、医師である叔母の話や大学病院に勤めるもう一人の叔母から聞く医師の話も増え、医師という職業を身近に感じさせたのだろう。

行きたいと思っている高校には、水泳の練習をしながらでは無理だ。塾に行かせてくれとも。


次男には、ちいさな頃から何をやるにも止めず、かなり自由にさせてきた。

だから時には呆れるようなことも、危ないこともあって、というか結構あって・・・

我が強すぎる子で人の指示には断固として従わない子だったが、反面自分の進むべき道を自分でしっかり決められる子に育っていたらしい。



「飽きた・・・」

他人は、本当に飽きるほどやったか?と言うかもしれない。

しかし小学生としては、この二年間に全身全霊を掛けて「飽く」ほどやってきたのかもしれぬ。

本当の彼の心の内は、彼にしか分からない。

ただ一つ言えることは、

『きのふの我に飽くべし』

君の未来はまだまだ限りなく広がっている。




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# by yomuyomuehon | 2020-05-06 11:44